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「何が起こってるんだ」 俺はもう何度となく口にしたセリフを飽きもせず漏らした。 長門だけがいない。そのうえハルヒやその他の連中に長門の記憶はない。古泉は欠席中。それが今の俺の置かれた状況である。長門だけがいない? 何故だ。 はっきり言って、俺一人では見当もつかん。 考えようたって俺の頭は絶賛混乱中につきまともに回転してくれないのだ。そうだろう。一般人だったら俺みたいな感じになるに違いない。 まあ、俺一人ではどうしようもできないというのは俺がこの上なく一般人だからという理由をつけて、朝比奈さんぐらいの相手なら口論で言い負かす自信はあるがな。だがしかし朝比奈さんを言い負かしたところで何の利益も生まれず、そして今はそれどころではない。 いや、待てよ……。 朝比奈さんだ。 というわけで、そう気づいたのは右耳から入ってくる情報を左耳に受け流しているような一、二時限目の授業が終わったときだった。 授業中、俺のシャーペンはいつもに増して動作停止の割合が高かったがせめて今日ぐらいは大目に見て欲しい。そして俺の願いが通じたのか、運のいいことに教室内を無駄に徘徊しまくる教師に咎められることはなかった。なぜだろう。 だからそんなことを疑っている場合ではない。 今は朝比奈さんだ。 SOS団で残った可能性といえば彼女くらいなものである。ハルヒは記憶がおかしいし、長門と古泉は学校にはいない。長門にいたってはこの世界にすらいないのかもしれん。 俺は確認の意味もこめて後ろを振り返った。 「おいハルヒ」 俺の後ろにはやはりハルヒがおり、終わったばかりの英語の授業道具をせっせと片づけていた。 「何? 知り合いの女の子の自慢話ならお断りよ」 「そうじゃなくてだな、お前朝比奈さんを知ってるか?」 ハルヒは呆れたような顔になった。 「あんたまたそんなこと言ってるの? 何それ、最近流行りのゲームか何か?」 「そんなわけないだろ」 「まあいいわ。言っとくけどね、あたしはあたしの団の団員を忘れるようなことは絶対にしないから。あんたは微妙だけど、古泉くんとみくるちゃんなら一生忘れない自信があるわよ」 心強い返答だ。口に出して言えるわけはないが、どうせなら長門のことも覚えててくれればよかったのにな。 「それで、みくるちゃんがどうかしたの?」 「いや、何も」 「何よそれ、気になるじゃないの。訊いたなら訊いただけのことはしなさいよね」 「本当に大した理由なんかない。俺がちょっと血迷っただけだ」 ハルヒには悪いが、今は三年の教室へと急がねばならん。ハルヒの「あんた今日血迷いすぎよ」とかいう言葉を背に、俺は席を立って廊下へと繰り出した。 ハルヒが朝比奈さんのことを知っているということは、朝比奈さんがここにいる可能性は高い。古泉のことも知っているらしいから、古泉も学校じゃないにしろどこかにいるのだろう。 何しろハルヒはこの世界の神様的存在である。古泉の考えを立てるのなら、ハルヒの記憶には朝比奈さんがいるのに実際はいないとか、あるいはその逆とか、ハルヒが本質的な矛盾を感じるようにはなっていないはずなのでである。それは同時に長門が存在しないことの証明でもあるわけだがな。 俺はちらりと時計を見た。三限の開始にはあと五分ほどの余裕がある。五分もあれば三年の全教室を見て回ることもできるだろうか。少し足りないかもしれない。 しかしそれは杞憂に終わったようだった。 それもそのはず、俺が三年の教室につながっている階段の踊り場に立ったとき、上の階から階段を降りてくるお方が俺の目に入ったからだ。 深くうつむいて唇を引き締め、可愛らしくも今はどんよりと暗い精神状態を前面に出している少女。 それが誰か、言わなくても解るだろ? SOS団専属のお茶汲み兼マスコット兼メイド兼書記。そして俺の精神安定剤女神様が、まさに目の前にいた。 「朝比奈さん!」 俺の声にハッと顔を上げた朝比奈さんは、しばらくクリスマスにサンタクロースを見つけてしまった純真な子供のような目で俺を見ていたが、やがて不格好なフォームで階段を駆け降りてきた。 「キョンくん――」 語尾を消滅させるような発音をして、再度そこにいるのが俺であるのを確かめるように俺の顔をのぞき込んだ。不安げな表情がやや明るくなっているように見えなくもない。 朝比奈さんは何か言いたそうにしていたがどうも言葉がうまく出てこないようで、やはり俺から何か言わねばならない。 瞬時に思いついた言葉の中でどれにしようかなを行っていると、次の瞬間、朝比奈さんの顔が急に歪んだ。 同時に、うっという短い嗚咽が聞こえた。しゃくり上げるその声はまさに俺の腰あたりからしており、なぜかというとそれは朝比奈さんが俺に抱きついているからである。何度となく感じたあの暖かくて柔らかいものがまた俺に押し当てられた。 「ちょ、あ、朝比奈さん?」 抱きついて顔をうずめているので朝比奈さんがどんな表情をしているか解らん。時々する嗚咽のような声から想像はできるが。そのたびに朝比奈さんの肩がひくひくと上下した。ワイシャツに涙の浸みていくのが伝わる。 俺はただただ動揺と困惑の最中を駆け回っていた。何だなんだ? 俺の右手及び左手は無意味に空をかいていた。しかし他にどうしようがあるってんだ。この場で黙って朝比奈さんを抱きしめられるほど俺はクールではない。朝比奈さんはひたすら泣き続けており、俺が先に声を発しなければならんのは承知しているのだが。 俺は、こんなところをハルヒに目撃されたりしたら一巻の終わりだなとか我ながら意味不明のことを思いながら、 「朝比奈さん……どうしたんですか?」 面白くも何ともない言葉を吐き出した。 「どうしたもこうしたもありません……ひくっ。……未来がごちゃごちゃになってて、時間平面がおかしくてTPDDがダメで……うぅ、あたしどうしたら……」 朝比奈さん、申し訳ありませんが意味不明です。とりあえず落ち着くことから始めてみたらどうでしょう。俺ならそんなに強く抱きつかなくても逃げたり消えたりしませんよ。 「ごめんなさい……その通りですね」 朝比奈さんはしゃくり上げながら、 「あたしがしっかりしなきゃいけないのに……。ごめんなさい」 いやあ、全然構わないっすよ。 朝比奈さんに泣きすがられるなんてのは全人類の約半分の夢だからな。しっかりするべきは俺なのだ。無論すべてがそんな下心で構成されているわけではないと釈明しておくが。朝比奈さんじゃなくたって――長門だってハルヒだとしても――泣きすがられればそれ相応の対応はしてやるべきだ。と言っても前者は涙腺があるかどうか怪しく、後者の場合は小型隕石がピンポイントで俺の家に衝突する確率よりもはるかに低いだろうと断言できるので実際そんなことがあるのは朝比奈さんだけなのさ。さて俺は何を言いたいのだろう。 「朝比奈さん、いったい何が起こってるか解ってるんですよね。ハルヒが長門を知らなかったり古泉が学校にいなかったり、って。すみません、俺もよく解ってないんですけど、朝比奈さんは何か知ってるんですか? 知ってたら説明してくれませんか」 「うん。……あたしもよく解らないからうまく説明できる自信はないんだけど」 朝比奈さんは表情をやや曇らせて、 「未来との交信がまったくできなくなってるんです。通信経路が途絶えました。未来からの指示や反応はないし、こちらからコンタクトを取ろうとしても未来に通じないんです。TPDDを使って未来に時間移動しようとしても、許可が下りてないから認証コードが解らないし、だから未来にも帰れないの……。朝に気づきました」 どういうことだろう。なぜ未来と通信できなくなってるんだ。 「伝わる経路がごちゃごちゃになってて信号が届かないって言ったほうがいいかもしれません。ごちゃごちゃになってるっていうのは現在から先の未来が大量に発生してるから。数え切れないほど、それもまったく種類の異なる未来が大量に発生しているんです」 朝比奈さんのその声には、もはや諦めにも近い感がにじみ出ていた。 ううむ、未来との交信ができなくなったというと朝比奈さんにとっては青木ヶ原樹海で道しるべを見失ったようなもんか。なかなか致命的ではあるが、いまいち実感が持てないのは俺が過去人たるゆえんである。 しかし俺が怪しく思ったのはそこではない。未来が大量にできているという点だ。 「どういうことなんですか? これから後の未来がいろいろに分岐してるってことですか?」 「そうです。大量分岐している上に、しかも分岐点がこの時間帯に集中してるんです。どの道を選ぶかでどの未来に着くかも決定されると思うんだけど」 「分岐を間違えると、まったく種類の違う未来に着く可能性もあるわけですか?」 「はい」 恐ろしい話である。 朝比奈さんの言うまったく種類の違う未来というのが何を指しているのか、何となく解った。 おそらく、長門がいる未来と長門がいない未来である。 当然俺は長門のいる未来に行きたいが、その分岐はいつどこでやってくるか予測不能だし、長門のいる未来に行ける確率も解らん。間違いないのは長門のいる未来かいない未来かという分岐がこの時間帯にあるということで、そして俺は何があってもその選択を誤ってはならないということだ。動きに細心の注意を払わねばならんだろう。今ちょっと楽をしたために一生後悔するようなことはあってはならん。 「これからどうすればいいとか解らないんですか? こうすればハッピーエンドになるとか」 「解りません。どの道を通るかで結果も変わってくるということしか」 「言えないんじゃないんですか? あの、禁則事項ってやつで」 「違うんです。禁則事項も強制暗示も全面解除されてます。その代わり未来からの干渉もないんだけど」 まあ、過去の人間にお前の未来は分岐してるぞなんて禁則事項が解除でもされてなければ言えるわけがないか。朝比奈さん(大)くらいの権力を持つ人だって答えを教えてくれたのはすべてが終わってからだったしな。八日後の朝比奈さんと俺がやったのは分岐を選択するためのことだった、と。 「あ、でも」 朝比奈さんは何か希望を見いだしたのかパッと表情を明るくした。 「長門さんなら何か解るかも……。未来が分岐してるってことも、ひょっとしたらこれからどうなるのかも教えてくれるかもしれません。ね、キョンくん?」 さて、それができたらどんなに楽をできるでしょう。たぶん、この状況下で長門を利用できたらそれは裏技でも反則の部類に入るものだと思いますがね。 俺はぽかんとして何も知らなかったらしい朝比奈さんにありのままを語ってやった。無理もない。彼女は未来のことだけで頭が一杯だったんだろうから。 今日になって突然、ハルヒやその他の連中が長門のことを知らないと言いだしやがったこと。長門のクラスに行ってみたが本当におらず、長門の席すらなくなっていたこと。ついでに古泉が学校を休んでいること。 朝比奈さんは俺の話を魂を抜かれたような感じで聞いていたが、途中から顔色をどんどんブルー方向に変えていき、俺が話し終わる頃には青を通り越して白くなりかけていた。 「そんな……未来だけじゃなくてそんなことも起こってたなんて……」 ハルヒがいないと知らされたときの俺を鏡で見ているような感じである。仕方ない。朝比奈さんはもともと突拍子もない事象に対する耐性がいまだにゼロに等しい上に、誰かが消えていたりするようなことを経験するのは初めてなのだ。そんな経験ほど慣れたいものも少ないが、俺のほうが朝比奈さんよりも経験を積んでいるのは事実である。 そんなことを考えているととある提案を思いついたので、ちょっと口にしてみた。 「朝比奈さん、今日学校を早退できますかね? あいや、朝比奈さんは早退しなくてもいいんですけど俺にいくつか心当たりがあるんで、できればそれを確認したいんです」 「心当たり……?」 「ええ。長門のことを知ってたりこの事態に気づいていそうな人間、まあ人間ですね。そんな奴らを少しばかり知ってるんで。もしかしたら助けてくれるかもしれません」 俺は即座に『機関』のメンバー、朝比奈さん(大)、喜緑さんの顔を思い浮かべた。 まずは『機関』である。古泉にもし電話が繋がれば、そこから『機関』にも繋がるはずだ。もちろん古泉に電話が繋がらなかったとしたら話は別だけどな。 次に朝比奈さん(大)と言ったが、未来がこじれているようでは彼女を全面的に頼ることはできん。長門がいない未来の朝比奈さん(大)が現れてその指示通りに動いてしまったら、それは間違いなくバッドエンドである。それでもやっぱり靴箱に手紙か何か入っていてくれれば安心できるわけだが。 喜緑さんに関しては難しい。長門と一緒に消えている可能性もあるし、いたとしても長門ほど頼り切れはしない。穏便派らしいが何を考えているのかいまいち理解できないからな。 と、ここまで来れば十二月十八日にはできなかったこともいくつかできる。一つぐらいヒットがあってもよさそうなものだ。 「朝比奈さんも、この時間帯に一緒にいる未来人の知り合いとかいないんですか?」 「知り合い、未来人のですか? いません、いえ、いるにはいるんですけど、そのぅ、ちょっとそれは……」 朝比奈さんは後込みしている様子だったが、その理由はすぐに解った。ヤツは俺の知り合いでもあるからな。 そいつはきっと男なんでしょう。そんでもって、ふてぶてしいを擬人化したような性格の持ち主で、こともあろうか朝比奈さんの誘拐騒動に一枚噛んでる野郎なんじゃないですか。あいつならお断りします。あんなのは知り合いの中にいれちゃいけません。 「仕方ありませんよ。未来人の知り合いならちゃんとした未来にいてくれればいいんです。朝比奈さんが気に病むようなことじゃありません」 「そう、ですか?」 「そうです。悪いとしたら朝比奈さんの上司――いえ、その話はよしときましょう。大切なのは今ですからね。現状把握が第一です。っても俺が思いつくところを徘徊するだけなんですけど、朝比奈さん、一緒に来ますか?」 「もちろん行きます」 朝比奈さんは重大プロジェクトを自らの双肩に背負わされた新米プロデューサーのような顔になって、 「キョンくんと一緒にいたほうが心強いですから」 * 起立礼の号令が上の階で響きわたった頃、俺と朝比奈さんは弁当を食い終わったら校門前で落ち合いましょうと約束してそれぞれのクラスに戻った。弁当を食い終わったらと指定したのは俺に少し時間が欲しかったからだ。この学校で喜緑さんを確認しておかないといけないし、あと一つ二つ確認すべきことがあったからな。 その次の休み時間、たかってくる谷口と国木田を軽くスルーして俺は廊下へ出た。部室棟へと向かいながら上着ポケットから携帯電話を取り出し、古泉にかけてみる。 呼び出し音が繰り返されていたが、俺がいい加減イライラしてくる頃になってようやく、電源が切っておられるか電波の届かないところにおられるか、とオペレーターの声がした。 「ちっ」 舌打ちしてみるがそんなに悲観すべきことではない。むしろ確信を得られたと喜ぶべきことである。 冬に変わった世界でハルヒに電話してみたときは『この電話番号は現在使われておりません』となっていたが今は違う。単純に古泉が電話に出られない状況にあるだけだ。電波の届かないところってのは何だ、閉鎖空間のことだろうか。 ところで閉鎖空間内にいるときは圏外になるのだろうかと素晴らしくどうでもいいことを考えながら、俺は役立たずの携帯電話をポケットにしまった。黙々と旧館部室棟へと足を運ぶ。 頭の中はすでに白くなりかけている。早くも考えつかれたが、それでもSOS団部室には気がついたら到着しているのだからこれはもう慣れ以外の何者でもないだろうね。 かつての文芸部室、今はSOS団の管理下にある部屋。 ここに以前のように長門がいないのは解っているが俺には希望を捨てることはできん。長門がそこにちょこんと座っているのならばそれほど嬉しいこともないだろうが、そうでなくても手がかりがあるやもしれない。大量に蓄積された本のどれかに栞が挟まっていて、裏に明朝体で文字が記されているかもしれないだろ? 俺はひとたび呼吸を整え、あえて何も考えないようにしてドアノブに手をかけ、扉を開いた――。 目を閉じて扉を開き、二秒くらい経ってから目を開けるなんてもっともらしいことをするつもりはない。したがって俺はすぐさまその光景を凝視した。 「こりゃあ――」 人の姿はなかった。 隅々まで見ても、掃除ロッカーに隠れていたりしない限りこの部室には俺しかいない。長門はいなかった。 その代わり、見慣れた光景がそこにあった。 七夕の竹、朝比奈さんのコスプレセットがかかったハンガーラック、ボードゲーム各種、パソコン。中央の最新機種の隣には「団長」と書かれた三角錐。その他主にハルヒが持ち込んだ雑多な物品が狭い部室を飾っていた。 これだけは間違いない。ここは零細文芸部ではなくSOS団である。そうでなけりゃ、どこの文芸部員がこんなもんを持ち込むのだ。 ならば昨日見たままの光景か……、と一瞬思いそうになったが。 「いや」 喜ぶのはまだ早かった。何の疑いもなく喜ぶと違ったときの落差のせいで余計にショックを受けるものだから俺はまだ喜ばなかった。それに、ここは何となく違った雰囲気がしていた。 違うのだ。この違和感。あるはずのものがないという、この違和感。 俺は再度目を走らせた。この部室に入っているものを答えろといわれたら、俺はカンペなしでも物理の試験以上の得点を取る自信がある。さあ、この違和感の正体は何なんだ。 朝比奈さんのコスプレ、古泉のボードゲーム、ハルヒの団長机。そして長門の……。 部屋の隅に設置されている本棚に歩み寄ると答えが解った。 本が圧倒的に少なかった。 本棚に収まりきらないほどあった長門のハードカバーが半分以下しかない。本棚はガラ空き状態である。おそらく最初から文芸部に備え付けられていたものしかないのだろう。俺だってそのくらいの推理はできる。ここでハードカバーを読むような人間は、ここには存在していなかったらしい。 脱力した。いろいろあるように見えて決定的に大事なものはない。 どこかに腰を降ろそうと見回すと、窓辺のパイプ椅子もないことに気づいた。長門の特等席であったはずの椅子もなくなっていた。あるのは長門以外の団員の所有物だけ。 いや、まだ何か残っているはずだ。昨日、まだ長門がいた部室で俺たちは何をやった。 二週間前倒しの七夕である。 俺はとっさに振り向いて竹を確認した。鶴屋さん印の竹には、いまだに団員分の願い事が吊してある。長門も昨日、このどこかに願い事を吊していたはずだ。 ――が。 「……タチの悪い冗談だ」 俺はさらにうなだれた。 ハルヒ、朝比奈さん、俺、古泉の願い事は脳天気にも昨日吊した場所で夏の風にそよそよと揺られている。当然である。昨日あったんだから、よほど物好きな泥棒が盗まない限り今日もここにあるはずだ。 それなのに、長門の短冊だけが忽然と姿を消していた。 はっきり言って気味が悪い。 物好き泥棒説なら即座に放棄できる。そんなヤツはいない。谷口だってそんなマニアックな趣味はない。 それは、長門がSOS団で活動していなかった証拠だった。 * はたして、情報収集の結果はまったく芳しくないものであった。 休み時間終了間際になってようやく動く気力を得た俺は、とりあえず本棚に収まっていた本を片っ端からめくってみた。時々栞がはさまっている本があったものの栞をひっくり返してもはたいても透かしても文字などは一切見えてこず、いたずらにストレスを蓄積するだけの時間であった。 もちろんパソコンの電源も入れた。どのパソコンもごく普通に起動してくれ、いつぞやの閉鎖空間みたいな長門からの直接メッセージはなし。MIKURUフォルダやネット上を探せばSOS団サイトは存在していたもののディスプレイは画面を淡々と表示するだけで、ようするにあったから何だという話である。 そんなこんなで俺が二年五組の教室に駆け込んだのは教師が入室するのとほぼ同時であり、何も収穫がなかった割に肉体的精神的疲労だけがむやみに溜まったのだった。 午前の部の授業は俺が何かを考えていたり何も考えていなかったりするうちに終了した。 無論考えていたのは授業の内容ではない。高校生としてそれを無論と言っていいものなのかと思うが、俺に付属する修飾語に「一般」というこの上なく貴重な二文字が失われかかっているのだから、社会に出てから役に立つとも思えない微分積分の授業を聞いたかどうかなんてのはノミとダニの区別がつくかつかないかくらいに些末でおよそどうでもいい問題に過ぎないのだ。 時は順当に過ぎ、昼休みが巡ってきた。 「おいキョン、どうしたんだそんな能面みたいなツラしやがってよ。暗いぞ」 谷口と国木田と席を寄せ合ってはいるが、それはまさしく形だけであって俺は一人猛スピードで弁当を胃の中に突っ込んでいた。 「うん。僕も谷口に同感だよ。能面、ってのが暗いって意味で使われてるとしたらね。キョン、どうかしたのかい」 「いや、さっきからどうも頭痛がひどくてな。ついでに喉が痛くて腹も痛くて吐き気もするし目眩もする。これはちっとまずいかもしれん」 「ふうん。症状がそんなにたくさん現れるのは珍しいね。それに、吐き気がするのにそんなに早く弁当を食べられるのもすごい」 国木田が豆を一粒ずつ口に運びながら言った。 「おう、どうも変な症状でな。今までにないパターンの風邪だな」 早退をクラスメイトにほのめかしておくのはそれなりに重要な作業だと思っているが、こんな演技で騙されてくれるとも思ってないしそもそもこの二人にほのめかしたところで効果があるとも思えん。 どうでもいいやとっととフケよう。 そう考え直してタイミングを見計らっていると谷口がバカにしたような表情で、 「ああそうだな。てめーの病気の症状は涼宮にも聞かされたぜ。それはお前、風邪じゃなくて精神病なんじゃねえのか。涼宮もそう言ってやがった」 ハルヒが? 何で? 「ああっと、いつだっけな。たぶん二時限目が終わったあたりの休み時間だと思ったがな。とにかく、お前が教室にいなかったときに涼宮がいきなり俺のところに来てよ、長門有希って誰だって訊いてきやがったんだ。訳わかんねーよな」 「あ、それ僕も同じことを訊かれたよ。長門有希って女子に心当たりはないかって」 「何て答えたんだ。というか、お前らは長門有希を知ってるのか?」 朝比奈さんが正常の記憶を持っていたのだからと多少の期待をしていたものの、谷口と国木田の表情を見る限りでは期待したほうがバカだったと思わざるを得ない。 案の定、我が同窓生二人は俺の顔をまじまじ見ると同時に、 「知らねー」 「知らない」 「そう言ったら涼宮が俺に向かってグチをたれてきたがったんだ。独り言のつもりだったのかもしれんが、俺にはちゃんと聞こえてたんだからグチでいいはずだよな」 俺は心の中で舌打ちを連続させながら谷口のセリフを聞いた。 「すんげー不機嫌な顔して、彼女の自慢話かしらとか言ってやがったぜ。あるいは精神病だとも言ってた。俺は精神病の可能性を取るね。哀れにも涼宮と愉快な仲間たちの一員になっちまったお前が、今まで正気でいられたほうがおかしいくらいだぜ」 それは朝比奈さんがSOS団にいてくださったからという理由に尽きる。そうでなかったら去年の今頃、俺は投身自殺でも図っていたに違いないだろう。 まあ今は違うけどな。そんなのは考えてるヒマもないし、そうするには俺はちょっと深入りしすぎてしまったらしい。だったらすべてのオチがつくその日まで付き合ってやるよと俺が思うようになっているのは開き直りの一種なのかね。 俺は悟りの境地に達した仙人の思考をトレースしながら弁当箱を片手に立ち上がった。 「突然だが谷口と国木田。俺は今日は早退させてもらいたいと思う。どうも調子がよくなくてな。この暑さでアフリカから遠征してきたハマダラ蚊に刺されでもしたのかもしれん。岡部にはどうにか弁解しておいてくれ」 「うん。でもねえキョン、何の理由があるか知らないけど、サボるつもりならもう少ししっかりした嘘をついたほうが僕はいいと思うな」 うるせえ。気づくのは勝手だが口に出すのはやめてくれ。 「それとハルヒにも伝言を頼みたいんだ。すべてお前の誤解だって伝えてくれ。あれは彼女なんかじゃないとな。そのほうが何かと後のためになるような気がする。ついでに、今日の部活は休ませて欲しいと言っといてくれ」 「ああ?」 谷口のフヌケた声をバックに聞きながら俺は鞄をつかむと弁当箱とその他を押し込み、そそくさと教室外に逃亡した。 誤解は恐ろしいものさ。この意味不明な状態に加えてハルヒによる世界改変でも行われたらたまったもんじゃない。俺はあまり肯定したくはないが、俺たちの間にはそういう暗黙の認識らしきものがあるみたいだからな。それが何かってのは訊くなよ。ルール違反だ。 * 最初に向かったのは生徒会室である。ただし朝比奈さんと一緒ではなく、俺一人で。喜緑さんの正体を知らないだろう朝比奈さんと一緒に行っては何か不都合がありそうな気がするのでね。もっとも長門レベルのパワーを持っているのならそのくらいはどうにでもしてくれそうなものだが。 職員室の隣にある生徒会室には何のトラブルもなくすんなり到着した。 思い返してみると、ここに足を踏み入れるのは実はまだ二回目である。古泉の学園内陰謀モドキで文芸部冊子の作成を言い渡されたときが一回目であり、あの時は喜緑さんが生徒会室で議事録を広げていた。 無論、今回もまたいてくれるとは限らん。彼女が長門と一緒にどこかに行っちまってる可能性を否定することはできない。 しかし試すだけの価値はある、と俺は思っている。どうせ俺がアテにできる存在など数えるほどしかないのだ。シラミ潰しに回ったってそんなに時間もかからんし、それなのにわざわざ喜緑さんを避ける必要なんざどこにもないからな。 古泉によると喜緑さんは長門の目付役であり、宇宙意識の中では穏便派でSOS団の味方らしい。長門はいなかったが、彼女はいたり、あるいはいなくても何らかのメッセージを残してくれていることも考えられる。 俺は生徒会室の扉をノックし、入りたまえという声がするのを聞いてからドアノブに手をかけた。 「む、何だキミか」 俺の耳は部屋に入るなり一番に白々しい声を察知し、俺の目は眼鏡をかけた男の姿を捉えた。 いたのは生徒会長だった。 「と、振る舞う必要もねえな。どうも最近、猫を被っていると本当に猫になっちまいそうで困った。普段、この口調で喋ってもいい奴が少ないからな」 会長はダテ眼鏡をはずすと足をテーブルの上に投げ出した。俺は不良会長を無視して喜緑さんの姿を探すが、見あたらない。ただ、議事録だけが脇のテーブルに無造作に置かれていた。 「お前、何の用で来たんだ? 用もないのにこんなところには来ないだろう。またあの騒がしい女のパシリか?」 「あーいえ、用があるにはあるんですが、その前に一つお訊きしてもいいですかね」 会長は無言で促した。 俺は喜緑さんのつけていたはずの生徒会議事録を手にとってパラパラとめくりながら、 「この生徒会の書記の人の名前って解りますか?」 訊くと、会長は露骨に面倒くさそうな顔をしていたが、一応といった感じで俺の訊いたことのない名前を言った。喜緑さんではなかった。 「そいつがどうかしたのか? 何かお前の団で企んでるつもりならこっちにも詳細説明をくれよ。そうでなきゃ三文芝居にもなりゃしねえ。敵に回すのはお前んとこの団長とやらだけで充分だ。部室の永久管理を認めてくれとか、そういうのか?」 「別に何も企んでませんよ。文芸部室なら間借りで充分です」 しかし会長はまだ言い足りないといったふうに指でテーブルをコツコツ叩くと、 「あんな部室はな、本当なら面倒だからとっとと引き渡してやりたいくらいなんだ。そもそも文芸部員なんか最初っからいなかったんだから被害者もいねえじゃねえか。それを何で俺が引っかき回すようなことをしなけりゃならねえんだ」 被害者なら長門こそが最初にして最大の被害者だが、この学校には長門がいなかったことになっているのだ。どうやらハルヒは一年の春に無人の文芸部室を乗っ取ったことになっているらしい。 「それなら古泉によく伝えておきますよ。で、申し訳ないんですがもう一個質問をさせてもらえますかね」 「何だ」 「喜緑江美里という女子を知ってますか? たぶん三年にいると思うんですが」 「知らん」 会長はあっさりと答えた。 ダメだったか。 俺は再び深い谷底に落ちていくような感覚に襲われた。 長門と一緒に喜緑さんも消えている。そんな確信を持った。 会長が嘘をついているとか、単に同学年にいるけど喜緑さんを知らないだけとかいう可能性はかなり低い。だったらなぜ喜緑さんが生徒会にいないのか説明できないからな。全校生徒に長門や喜緑さんを知っているかと調査したところでおそらく誰もが首を横に振ることだろう。 俺は不審者を見るような会長の視線を受けながら焦燥と共に議事録のページを繰る。ここにヒントメッセージか何かがなければ、俺や朝比奈さんだけでできることなんざ相当限られてくる。 議事録を埋めているのはいずれも乱雑な筆致の文字ばかりだった。まれに読めないものもある。喜緑さんがどんな字を書くのかは知らないが、さすがに彼女のものとは思えないような雑字だった。 「これ書いたの、全部書記の人ですよね」 「そうだな。そりゃいいが、お前ここに何しに来たのかとっとと答えやがれ。場合によっては叩き出すぞ」 別に俺は構わん。こんなタバコの煙が充満したような部屋にいたがために将来ガンにかかって死んだなんてことにはなりたくないのでね。せっかくだから議事録と一緒に叩き出してくれ。 「議事録に目的があるのか? 変な野郎だ。言っとくけどよ、中身を見てもてんで真面目なことしか書いてないと思うぜ。そんなもんいくらでもコピーを撮ってやるから早いとこ出てけ。こちとら気分よくフカせねえだろ」 会長はタバコを片手に俺の肩越しに議事録をのぞき込んだ。挑発するようにタバコの煙を吹きかけてくる。 しかし本当に何にも面白くないことしか書かれていない議事録だ。議題なんて大仰に書いてあるが、本当に議論したかどうかも怪しいね。 そうこうしているうちに議事録の残りページは減っていった。 「さあ、もういいだろう。昼休み中こんなことして過ごすつもりか?」 「いえ、こっちにも約束があるので昼休み中ずっとというわけにはいきませんよ。なんなら、本当にコピーでも撮らせてもらいます」 会長はふんと鼻を鳴らして馬鹿らしいと言い、椅子に腰を降ろして二本目のタバコに火をつけた。 「どうでもいいが、あのバカ女だけは呼び寄せるなよ。タバコなんかやってるところを見られでもしたら古泉の取りはからいも一切なくなっちまう」 ならやめればいいのだ。タバコは身体に毒ですよってよく言うじゃな――。 俺は息をのんだ。議事録を持っている手ががくがくと震えだし、眼球が釘付けになった。 筆跡が急にきれいになっているページ、いや、一文を見つけたのだ。議事録の最後のページ。そこだけがしっかりと読める文字だった。 「どうした?」 俺は驚愕を隠せていなかったのだろう、会長が怪訝そうに訊いてくるが今は無視だ。脳の全勢力を文字の解読に傾ける。 きれいな文字――喜緑さんであろう筆跡のそのページには、たった一文こう書かれていた。 『password・すべての始まりを記せ』 一字一字丁寧に書かれていた。愛の告白でもするかのような、優しくて柔らかい字で。 パスワード。 間違いない。イタズラ書きでも何でもなく、これは俺にあてたメッセージだ。おそらく喜緑さんが書き留めてくれたのだろう。そのはずだ。こんなのは議事録に記すような内容ではない。 パスワード、すべての始まりを記せ。 しかし、波が退いていくように俺の頭から興奮の感情が収まっていくと、そこにはさながら波が運んできたクラゲの死体のように、ただもやもやとした疑念が残った。 長門だけの特徴かと思っていたら、何だろう、宇宙人にはメッセージを短くする趣味でもあるのだろうか。はっきり言ってこれだけでは解らん。 何だってんだ。 パスワード。すべての始まり。記せ。 パスワードってのは何だ。どこのロックを解除するためのパスワードなんだ。 それにすべての始まりとは何なんだ。何の始まりなんだ。 記せ? どこに記せばいい。この議事録か、それともどこか別の場所か。 それに期限はないのか? 冬のときのように二日後までにしなければならないとかいう制約が。 全然ダメだ。文の量の少なさを呪うわけではないが、ロックをはずすための情報が不足しているのは事実である。これでは何一つとして解らない。 「会長さん、これちょっとお借りしますよ」 とりあえず、俺はうわずった声で会長に告げて議事録を閉じた。マジでコピーを撮っておく必要がある。 「ああ? 何だ、本当に面白いモンでも見つけたのか?」 ええ、見つけてしまいましたよ。あいにくあなたには何の面白みもないでしょうが。 すっかりシラけきったような顔をして俺を見る会長の視線を背中に感じながら、俺は議事録を手に生徒会室を出た。 どこのパスワードなのかはさっぱり解らんし、これといって見当がついているわけでもない。 しかしこれは大きな一歩に違いないのだ。 これがどんな意味を持っているにしろ、これを辿っていけば何か確かな手応えに突き当たるはずである。冬のときは鍵で、今回はパスワードか。 いるんだよな長門、このメッセージの先には、宇宙人の力を持つお前が。
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言わせて貰うなら、セックスなんてのは単なる行為のひとつに過ぎない。少なくともあたしはそう思ってる。 愛情がなくったって出来るし、何の証明にもならない。セックスしたから彼はわたしの物♪なんて、おかちめんこな考え方は噴飯物だ。一時の気の迷いで、そうひょいひょいと人の所有権を移動させないでほしい。 結局その考えは、あたしこと涼宮ハルヒが実際にセックスを経験した後も、特に変わる事はなかった。だからやっぱり、セックスなんてただの行為なのだ。 「おっそーい! キョンの奴!」 一年を4分割するのなら9月は秋に分配されて然るべきはずなのに、その日は朝から猛烈に暑かった。残暑なんてものは馬の尻尾にくくりつけて、そのまま蹴っ飛ばしてしまいたい。 実際にはくくりつける事も蹴っ飛ばす事も出来ないので、あたしは腕組みをして駅前広場の時計を睨みながら、ひたすら不機嫌な声を張り上げていた。 「ホントにもーっ、何やってんのよ!」 「まあまあ涼宮さん。まだ待ち合わせ時刻から10分ほどしか経っていませんし」 「他のみんなはもう集まってるでしょ!? せっかくSOS団の末席に加えてあげてるっていうのに、団員としての自覚が足らないわ! だいたいね? 下っぱのキョンが団長であるこのあたしを待たせるだなんて、まったくの論外よ! ロンのガイよ!」 あたしの怒声に、古泉くんは参りましたねと肩をすくめるばかりだった。あー、何か違う。やっぱり古泉くんが相手だと何かこう、しっくり来ない。これはもう今日は徹底的にキョンの奴を吊るし上げなけりゃだわ! 「うス。すまん、遅れた」 噂をすれば何とやらね。しょぼい顔してやってきたキョンを、あたしは出来うる限りの厳しい眼光で迎えてやったわ。 さー、どうとっちめてやろうかしら。明らかに寝不足っぽい顔しちゃって、どうせまたつまんない理由で夜更かしでもしてたのよきっと。 「理由…言わなきゃダメか?」 「当ったり前でしょ! あんた一人のせいで、あたし達がどれだけ迷惑したと思ってんの!」 「あのぅ、涼宮さん…わたしはそれほど迷惑とは…」 「みくるちゃんは黙ってて!」 「ひゃ、ひゃいっ!」 「これは団の規律の問題なのよ。さあ、ちゃっちゃと吐きなさい、キョン!」 ゲームか漫画か、それとも深夜映画にでもハマってたのか。わくわく気分で問い詰めるあたしに、キョンはむっつりした顔で、こう答えた。 「昨日、中学の同級生だった奴の葬式に行ってきたんだよ」 「そうですか、海難事故で」 「ああ。夜釣りの最中に高波にさらわれて、朝、浜に打ち上げられた時にはもう冷たくなってたとか。人間なんて本当、はかないもんさ」 古泉くんに素っ気なく応じると、キョンはずちゅーとアイスコーヒーをすすり上げた。事故の件を話すのがつらいというより、喫茶店に移ってきてまでこんな暗い話題で雰囲気を盛り下げたくない、といった感じだ。 まあ確かに、日曜の朝に聞きたい類の話じゃない。正直、気分が滅入る。ああ、だからキョンはさっき言いたくなさそうにしてたのか。…って事はなに? 今のしんみりした空気って、ムリヤリ聞き出したあたしのせい? 「でも、キョン! そもそも昨日の時点で用事がお葬式だってこと、なんであたしに言わなかったのよ!?」 なんだか責任転嫁のような感じで、あたしは話を蒸し返していた。そう、本来は昨日の土曜日に定期パトロールが行われる予定だったのに、直前になってキョンが用事があると言いだしたから、一日ずらしてみんな集まっているのだ。 でもってキョンの奴は、あたしが訊いても口をもごもごさせて、何の用事かははっきりと言わなかった。今朝からあたしの気分が優れなかったのも、半分くらいはそーゆーキョンのぐだぐだした態度にイラついてたせいだ。結論、うんやっぱりキョンが悪い! 「最初は、葬式に出る気なかったんだよ。つい直前までな」 あっさりと、キョンはそう白状した。…おかしい、どうも今日は調子が狂う。 いつものキョンなら吊るし上げをくらっても、なんだかんだとあたしに抵抗しようとするのに。その往生際の悪さが見てて楽しいのに。 「1、2年の時に同じクラスだったってだけの奴で、すごく仲が良かったわけでもなかったし。高校も結局、別の所に行っちまったしな。 俺が行って手を合わせた所で、奴が生き返るはずもなし。でも国木田の奴に、焼香くらいは、って誘われてね」 国木田か。なるほど、付き合いのいい方ではあるわね。でも、ちょっと待って? 特に仲が良かったわけじゃあない? 見回せばあたし同様、キョン以外のみんなが頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた(有希はパッと見、そうとは分からないけど)。それならどうして、寝不足になるくらい思いつめたりすんのよ。 「別に今生の別れに一晩中泣き明かしたりしたわけじゃねえよ。ただ、なんて言うかな…。 葬式のあとで、国木田が言ったんだ。なんだか全然、現実味がないねって」 まるでそういう風に話すよう造られた自動人形みたいに、キョンは淡々と語っていた。 「家に帰ってから俺、卒業アルバムを開いてみたんだ。そしたら確かに、一緒の頃の思い出の方が生々しくって、あいつが死んじまったって現実の方が絵空事みたいな感じなんだよ。 でもやっぱり、あいつが居ないこの世界の方が現実で」 ふう、とキョンがひとつ息を吐くと、微かにコーヒーの匂いが漂った。 「実は俺、ほんのしばらく前にそいつと話してるんだよな。下校途中にサンダル履きのあいつと、ばったり出くわしてさ。そのままコンビニの前で30分ばかりくっちゃべってた」 「その人、何か特別な事でも言ってたの?」 「いや、全然。今じゃ内容さえ憶えてないような、そんな程度の会話だった。 でもそれは、あいつとは逢おうと思えばいつでも逢える、話そうと思えばいくらでも話せる、そう思ってたからで。それが気が付いたら、そうじゃなくなってて――。何だろうな、こういう感じ。心にぽっかり穴が空いた、とでも言うのか?」 「ふん、ボキャブラリーが貧困ね」 わざときつく揶揄してやったのに、あいつはムッとした表情さえ見せなかった。やっぱり変だ。やっぱり今日のキョンは、何かおかしい。 「そりゃ失敬。じゃあ教えてくれよ、こういう気分ってなんて表現するべきなんだ?」 「何って、それは…」 「………虚無感」 「おお、さすが長門。ん、まあそんな感じだな」 有希に向かって大きく頷くキョンの顔を、あたしはストローの先のクリームソーダを最大肺活量で吸い上げつつ、仏頂面で眺めていた。 キョム感ね、キョンだけに。…いろんな意味で面白くない駄ジャレだわ。 「そのぅ、えっと…元気出してくださいね、キョンくん…」 「おお、この俺の身をそんなに心配してくれますか! いやあ、朝比奈さんは本当に心優しいお人だなあ」 今のキョンはみくるちゃんの掛けた言葉に、やけに愛想良く受け答えてる。みくるちゃん相手にはやたら調子がいいのはいつもの事だけど…今日はなんだか特に造り物みたいな笑顔ね。無性にはたきたくなるわ。 そんな風に思っていると、キョンの奴は不意にこちらを向いた。 「ま、そんな事がありましたよって事で。人間なんて明日どうなってるか分からないから、みんなもせめて事故とかには気をつけろよな。特にハルヒ」 ちょ!? なんであたしだけ名指しなのよ! 「お前が直情径行の向こう見ずで、後先考えずに動くからだ。 さて、それじゃ不思議探索パトロールに出掛けますかね、と。今日はもう俺の罰金で確定なんだろ?」 恒例のクジ引きで同班になったみくるちゃんをいざなって、キョンは伝票をひらひらさせながら会計へと向かった。 むー。つまんない。あたしは『キョンに罰金を払わせるのが』ではなく、『罰金を払わされる時のキョンの情けない顔が』楽しいのに。つまんないつまんない! 「どうかしましたか、涼宮さん?」 よっぽどあたしはむくれていたのだろうか。喫茶店を出るなり、古泉くんがそう声を掛けてきた。 「ねえ有希、古泉くん。今日のキョン、なんかおかしいわよね?」 遠回しな物言いは好きじゃない。あたしがズバリ訊ねると、古泉くんと有希はしばらく顔を見合わせて、それから二人揃って頷いた。古泉くんはともかく、有希も肯定しているからにはやっぱりそうなのだ。 「そうですね、これはまあ概念的な事柄なのですが。 人は大なり小なり、明日への不安を胸に抱いているものです。もしかしたら大地震が起こるかもしれないし、空から隕石が降ってくるかもしれない。はたまた、悪意を持った異星人が大挙して地球を侵略しに来たりするかも…」 いきなりそんな事を語り始めたかと思うと、古泉くんはしばし、あたしと有希の顔をちらちらと見比べた。今の間は何なんだろう、一体。 「…とまで言ってしまうと、さすがに何でもありになってしまいますが。不慮の交通事故などは、誰の身にだって起こり得るわけです。 さて、そんな時。たとえば明日死ぬかもしれないという時に、やりたくもない宿題をやる気になる人が居ますか? いえ、それどころか自分にとっての宝物さえ、もしも明日無になるとしたら、途端に色褪せて見えるのではありませんか?」 「えっ? でもだって、そんなのは…」 「はい、その通りです。予測できない不幸、というのは可能性としてはあり得るのですが、それを気に病みすぎていては何も出来ません。 だから人は基本的に、その可能性を無視しています。もしくは保険に加入するなどの次善策を用意するか、ですね。しかしながら“死”というのは、人が逃れえない宿命のひとつでして…」 と、ここで一度言葉を止めた古泉くんは、ああまたやってしまったとでも言いたげな微苦笑で頭を振った。まあ、古泉くんのセリフが芝居がかってるのはいつもの事だけど。 「結論を述べましょう。今の彼は、軽い躁鬱病の状態にあると思われます。 ご友人のように、自分も明日にはいなくなっているかもしれない。ならば自分の生に一体何の意味があるのか――そんな問答に囚われてまんじりともできないでいる、といった所でしょうか」 「有希の言ってた、虚無感って奴?」 「おそらくは。実を言えば僕自身、まだ同年代の人間の死に直面した経験はないもので、先程の彼のお話には、多少なりともショックを受けました。もしかしたら『大人になる』というのは、こうしたショックに慣れていく事なのかもしれませんね」 ショックだった割には、いつもと同じ笑顔で話してる気がするけど。そうね、古泉くんが言いたい事はだいたい分かるわ。 でも、だったらあたしは敢えて大人になんかなりたくないかな。親とか身近な人を失くす悲しみに慣れるだなんて、そんな事は………え? 失くす? 誰を? その時のあたしは、どんな顔をしていただろうか。ともかく、気付けばこんな言葉があたしの口をついて出ていた。 「あのさ、有希、古泉くん。ちょっと話があるんだけど」 「はあ、午後の調査を彼と二人で」 「…………」 その、別にヘンな意味じゃないのよ? ただキョンの奴のスッポ抜けぶりが見るに見かねるというか、ほら、団長の責務として…! 「素晴らしい。さすがは涼宮さんだ」 「へ?」 「僕達も彼の不調が気にかかってはいたのです。しかしながら、いかんせんどうやって励ましたら良いものか、妙案が浮かばないものでして。 ですが、団長自らがケアをなさってくださるというのなら、もう安心ですね。どうぞ彼の事をよろしくお願いします、涼宮さん」 ま、任せときなさい! 団員の心の悩みを受け止めてあげるのも団長の務め! 一切合財あたしに預ければ、全てこれ解決よ! と、あたしがガゼン張り切っていると。 「ふむ、ですがそうするには…長門さん、ちょっといいですか?」 古泉くんが有希を道端に連れてって、ひそひそ相談を始めた。ん? この光景、なんとなく前にも見たような覚えがあるんだけど。市民野球大会の時だっけ? それともデジャビュって奴かしら。 「お待たせしました。では、午後のクジ引きは長門さんにお願いする事にいたしましょう。実は彼女、少々手品の心得があるそうで」 「へえ、それ初耳。有希、本当に出来るの?」 「………可能」 「公平公正なゲームを愛する僕としては、こういうインチキはあまり推奨したくはないのですが。 しかしながら彼はある意味、涼宮さんの対極というか、石橋を叩いて渡らないような、非常にアマノジャクな性格の持ち主ですからね。変なお膳立てをしてしまうと、かえって反発しかねません。ここはあくまで偶然を装うとしましょう」 古泉くんの言に、あたしは大きく頷いた。まったく、キョンの奴があたしのナイスなアイデアに、素直に賛同した事など一度もない。いつもつまらない常識論を持ち出して、あたしの発展的行動に難癖を付けたがるのだあいつは。 あんたみたいな奴の事を、これだけ気に掛けてあげるのはあたし達くらいのものよ? 友に恵まれた事をせいぜい感謝なさい、キョン! 「素直じゃない、という点ではどっちもどっちというか、お似合いなんですけどね」 「何か言った、古泉くん?」 「いえ、別に何も」 「ふうん? まあいいわ。今回はウソも方便って事で、有希、お願いね」 あたしの依頼に、有希は黙って頷いた。沈黙は金だとかいうけど、本当にいざという時には頼りになる娘だ。キョンの数千倍は役に立つわね。 って頷いた後も有希はしばらく、深遠の瞳であたしを見続けていた。ん、なに? 「彼の言っていたのはある面での、真理」 彼って、キョンのこと? 「そう。価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった際の喪失感は、絶大」 「あんたにも、そんな経験あるわけ?」 「11日前、帰宅すると作り置きのカレーが、全て痛んでいた。その日はお茶だけ飲んで過ごした。カレーに黙祷を捧げた…」 「そ、そう」 カレーと人命を同列に語っちゃうのもどうかしら。ああ、でも自炊してる人にとっては食料問題は死活ラインなのか。よく分かんないけど。 「決まりですね。では、我々も出発しましょうか」 「あ、うん、そうね」 なんだか分からない内に古泉くんに促されて、あたし達もまた午前のパトロールに出立した。うーむ、やっぱりどうにも調子が狂ってるぽい。いつもなら当然のように、このあたしが号令を掛けているはずなのに。 結局、午前の部はただひたすら暑い中を歩き回るだけに終始した。不思議を探すより何より、あたしの心には踏んづけたガムみたいに、さっきの有希のセリフがべたりとこびり付いていたのだ。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 あるはずだったものを失くしてしまって、心にぽっかり穴が空いたようだ、とキョンは言っていた。有希はそれを真理だと言う。古泉くんは、人は大なり小なり、明日への不安を胸に抱いているものだと言っていた。 そうだ、今のあたしも多分、何かしらの不安を抱えている。でも、それは…一体なんだろう? あたしは何を失くす事を恐れてるの? そんな疑念が、歩くたびに靴底で耳障りな音を立てている、ような気がした。 「珍しいな、この組み合わせってのも」 「あー、うん、そうかも、ね」 キョンの何気ない呟きに、午後のあたしはちょっとばかり居心地の悪い気分で頷いていた。本当の事を知ったら怒るかな、キョン。 「つか、古泉の野郎が羨ましい」 前言撤回。このバカ相手に、罪悪感など微塵も感じてやる必要なんか無い。あたしは渾身の力でキョンの尻をつねり上げてやった。 「神聖なSOS団の活動を一体何だと思ってんのあんたは!」 「うぐあっ!? い、いやスマン、冗談だ…」 だいたい古泉くんは、午前もあたしと有希で両手に花だったでしょうが!? どうしてあの時は羨ましがらないで今は………あ、いや。いやいや。 あ、あたしが怒ってるのはそんな事なんかじゃないわ! そう、キョンの奴がここでもやっぱり素直に謝ってるからよ! だから、調子が狂うって言ってるでしょ! いや言ってないけど! いつものあんたなら、もっとこう…その、歯応えがあるっていうか…そこいらのくだらない男連中とはちょっとは何かが違うっていうか…。 「どうしたんだ、ハルヒ? どこに向かうんだか、さっさと決めてくれよ」 こここ、この鈍感男めぇ! 人がこんなに気を揉んでやってるのも知らないでッ! あたしはよっぽど、公園の砂場を掘り返してこの唐変木を頭から埋めてやろうかと思ったけど、今世紀最大の自制心を働かせて、なんとかそれを堪えた。いけないいけない。古泉くんの言によれば、キョンの奴は今、ちょっとばかり精神を病んでいるのだ。団長として大目に見てやらなければだわ。 ――治ったら覚悟しなさいよね、このバカキョン! 「いいからっ! あんたは黙ってあたしについてきなさい!」 「へーへー、団長様の仰せのままに」 とりあえず、そういう事にして歩き始めたけど…はてさて、これから一体どうしたらいいもんだか? 実の所あたしは、本当に有希の手品とやらがうまく行くのかなーとか、行ったら行ったでキョンの奴、あたしとペアの組み合わせをどう思うのかなーとか、そんな事ばかりを考えてたもんだから。具体的にどうやってキョンを元気づけたげようとか、全く考えてなかったのよ! うそ、どうしよう。まるで小堺一機のお昼の番組にいきなりむりやり出演させられて、サイコロ振らされたような気分だわ。何が出るかな♪何が出るかな♪ ちょっとドキッとした話、略して「ちょドばーなー」って、だから何も用意してないんだってばっ! 『団長自らがケアをなさってくださるというのなら、もう安心ですね。どうぞ彼の事をよろしくお願いします』 プレッシャーが具現化したのか、さっきの古泉くんのセリフが耳にこだまする。あたしは空の彼方に浮かんだあの爽やか笑顔に、無言のパンチを打ち込んだ。 『おやおやひどいですねフフフ』 ええい、回想なんだからさっさと消えなさい! 「おい、どうしたんだハルヒ。道端でいきなり拳振り回したりして…?」 「虫よ! 虫がいたのニヤケ虫が!」 語気も荒く振り返って…あたしはキョンの背後の壁に、ふと一枚の看板を発見した。 (あ、やだ…。やみくもに歩き回ってたら、こんな方向に…) 途端、あたしの頬が熱を帯びる。そこは駅の裏手辺りにありがちな一画で、男女がペアで歩いてたりしたら、いわれのない誤解を受ける可能性が非常に高い場所というか何というか…。あーっ、もう! ハッキリ言ったげるわ! あたしにはやましい点なんかこれっぽっちも無いし! ホテル街よホテル街! そこはいわゆるホテル街だったのよ! 「おい、ハルヒ」 その時、いきなりキョンに声を掛けられて、あたしは背中をぴきぴきっと引きつらせてしまった。な、ななな、何よ!? あんたまさか、ヘンな勘違いしてるんじゃないでしょうね! あ、あたしは別にそんなつもりで、こんな所にあんたを連れてきたわけじゃ…。 「実は今、朝見たテレビの占いコーナーを思い出したんだけどな。今日の風水じゃ、こっちの方角は俺にとって猛烈に運勢が悪いらしいんだ、これが」 「え、そ、そうなの?」 「できれば別方向に探索に行きたいんだが。ダメか?」 「そういう事なら、し、仕方ないわね。じゃあ…」 表面上は不服そうな顔をしてたけど、本音を言えばキョンの言葉は渡りに船で、あたしはそそくさとこの場を離れ―― ――ようとして、はた、と疑問の壁にぶち当たった。ちょっと。ちょっと待ちなさいよ、キョン。あんた、今朝はあんなやつれた顔で遅刻してきたんじゃない。朝の占いなんか見てる余裕あったわけ? そもそも、あんたってば占いとかそういう類は否定はしないけど肯定もしないってタイプだったでしょうが。まさか、あんた…。 気が付けば、あたしは奥歯を軋むくらいに噛みしめていた。くやしい、くやしいくやしい! 今は、あたしがキョンの事を気遣ってやらなきゃならないはずなのに…! それなのに、どうしてあたしがキョンに気遣われてるのよ!? 北高に入学したばかりの頃、つまらないつまらないと窓の外ばかり眺めてたあたしに、キョンは何やかやと話しかけてくれた。頬杖をついてふてくされた表情のままだったけど、あたしは内心、それがとても嬉しかった。 だから、だから今日は、あたしの番だと思ったのに…あたしはすごく張り切ってたのに! 実際にはあたしには何の手立ても無くて、逆にキョンに気遣われてる。あたしの尊厳を傷つけないように、自分の都合を押し付けるようなフリまでしちゃって…なに格好つけてるのよ、キョンのくせに! 後になって冷静に思い返すなら、あの時のあたしは、ちょっと普通じゃなかったと思う。小さな子供が親の前で格好良い所を見せようと背伸びするように、ただひたすら、キョンに自分の優位性を誇示したかったのだ。あいつの優しさに甘えてばかりの自分に我慢がならなかったのだ、と思う。 あとまあ本当に本音の事を言えば、この状況で「逃げ」を選択したキョンに、“女”として依怙地になっていたのかもしれない、けど。 ともかく、あたしが求めたのはキョンに対する逆襲手段であり…現在のこの状況、そして今朝からの出来事を鑑みた結果、あたしの頭の中で、ぺかっと何かが閃いたのだった。 そのアイデアに手段、結果推測などがパズルのようにカチカチとはまっていき、たちまちひとつの仮法案になる。あたしの脳内では『涼宮ハルヒ百人委員会』が召集されて、すぐさま“それ”が提議された。 議事堂の半円状の議席にずらりと居並ぶ、スーツ姿のあたし達。その中で、立ち上がったあたしAが腕を振り、口から泡を飛ばす。 「本当に“これ”を採択して良いのですか? あとで後悔する事にはなりませんか!?」 「正直、その可能性は否定できません。ですがもしも採択しなければ、それはそれで後悔する事になるかとわたしは思います!」 あたしAの質疑に、敢然と答えるあたしB。周囲の大多数のあたしの中からは、やんややんやと歓声と拍手。一部では天を仰ぎ失望の息を洩らすあたしや、口をアヒルみたいにしてケッとか呟いてるあたしも。 「静粛に! それではこれより決議に移ります。賛成の方は挙手を」 議長服のあたしがコンコン!と木槌を叩き、採決が始まる。その結果、賛成87票、反対5票、棄権8票で、“それ”は可決されたのだった。 「うん、決めた!」 満足できる結論に達して、あたしは大きく頷いた。自問自答の時間は、正味1分も無かったかもしれない。 ともかく、一度こうと決めたらただちにスタートするのが涼宮ハルヒ流だ。くるりと踵を返したあたしは、キョンの奴が 「ハルヒ? どうかしたのか?」 と小首を傾げた、そのシャツの胸倉を引っ掴んで、真正面からあいつを見据えてやった。制服のブレザーだったら、ネクタイを捻り上げている所ね。 「いい、キョン? 自分じゃ気付いてないんでしょうけど、あんたは今、ちょっとした心のビョーキなの。分かる?」 「はぁ? 何をいきな」 「黙って聞きなさい! だからこれから、あたしがあんたを治療してあげるって言ってんの! いい? 分かったら四の五の言うんじゃないわよ!」 「お、おい待てハルヒ、そこは…」 四の五の言うなと釘を刺したにも関わらず、ゴニョゴニョ言いかけるキョンの呟きを全く無視して、あたしは標的と定めた建物に突撃した。ほとんど拉致みたいな形だけど、仕方がない。正直、あたしは顔から火が出そうでとてもじっとしてはいられなかったし、それに、ありえないと思いつつも万が一、億が一、キョンに拒否られたらとか思ったら、その…。 えーいもう、仕方がなかったって言ってるでしょ!? キョンの奴には主体性って物がまるで無いんだし! あいつの方からあたしをリードできるだけの甲斐性があれば、あたしだってこんな強硬手段を採ったりはしないのよ、うん! そういうワケで仕方なく、キョンを引っさげたあたしは道場破りみたいな面持ちと勢いで、その建物に乗り込んだのだった。通りには他に何組かカップルがいたけど、こういう時に人目を気にしたら負けよね。じゃあなんでお前の耳や頬はこんなにも火照ってるのかって、そんな事はいちいち訊くもんじゃないわ。 結局の所、そこはあたしがこの界隈に来て最初に看板を発見した白い建物で。外壁に提げられたその看板には、 【デイタイムサービス ご休憩3時間 3200円】 といった記述がなされていたのだった。 「ふうん…これがラブホって所なんだ…」 ちょっとした感慨を込めて、あたしは呟いた。てっきりピンク色の照明なんかがギラギラ光ったりしてるのかと思ってたら、何というか普通のホテルにカラオケボックスを合体させたような感じだ。部屋の広さに比べるとベッドが結構大きくって、あとティッシュやら何やらが脇に置いてあるのが、なんだか生々しい。 「…正確にはファッションホテルだかブティックホテルだかと呼ぶべきらしいぞ」 あたしの手で部屋に放り込まれたキョンが、カーペットに膝をついた格好でげほげほ咳き込みながらそんな事を言う。まったく、役にも立たない知識だけは豊富な奴ね。 などと思ってたら、キョンの奴は下から、じろりといった感じであたしを見上げた。 「やれやれ。俺もいいかげん、団長様の行動の突飛さにも慣れてきたかと思ってたんだが。とんだ思い過ごしだったみたいだぜ。 なんだ? まさか今日の不思議パトロールは女体の神秘を探検よ!とか言うんじゃないだろうな」 困惑ぎみのキョンの表情に、あたしは少しだけ、胸がスッとするのを覚えた。もっともっと、キョンの奴を困らせてやりた…あ、いや、違う違う。今日ばかりはあたしの都合は二の次なんだったわ。 決意も新たに、あたしは両の拳を腰に当てて前に身を屈め、キョンの顔を上から覗き込んでやった。どうにかして、こいつを励ましてあげなけりゃね! 「もし『そのまさかよ!』って言ったら、あんたはどうするわけ」 「なんだって?」 「本当の事を言うと、あたし、前々からあんたの恩着せがましい所にちょっとムカついてたのよね。あたしが何か命令するたびにさ、あんた、諦め顔で『あーもー好きなようにしてくれ』とか言うじゃない。あたし、アレがいっつも気に喰わなかったのよ。 えーと、だから、その…今日はその意趣返しっていうか」 少し言葉を詰まらせながら、あたしはそう喋っていた。う~む、論理展開に若干のムリがあるかも? いやいや、ここは強気で押し通すべきよ。 「つまり! 今は、この場所でだけはいつもの逆で…あたしの事をあんたの好きなようにさせてやろう、って話なのよ。分かった!?」 そう言い切るとあたしはベッドに歩み寄って、キョンに相対するように、ぽすんと腰を下ろした。ミニスカートから伸びる足を組んで、腕組みをして…キョンをまっすぐ見るのはさすがに気恥ずかしいので、フンと顔を横に向ける。 「あんたが、女の子の秘密を知りたいって言うんなら…別に構わないって、あたしはそう言ってるのよ…」 ともかく伝えるだけの事は伝えたので、あたしはそっぽを向いたまま、キョンの出方を待っていた。 ううう、なんともこうムズ痒い気分だわ! 普段のあたしは 「キョン! そこの荷物持ってついてらっしゃい!」 「キョン! ここはあんたのオゴリだからね!」 とか命令形で話してるものだから、こういう雰囲気はどうも落ち着かない。だからって、まさか 「キョン! あたしにエッチな事してスッキリしなさい!」 なんて言えるはずも無いし。 う~、でもあたしが憂鬱だった時にキョンが話しかけてきてくれたように、あたしもキョンの奴を刺激してやる事には成功したはずだわ。ちょっと方法が過激だったかもしんないけど。でもこういうのって、いつかは誰かと経験する事で――。じゃあ、その最初の相手がキョンでも別に悪くはないかなって、あたしは思ったの。少なくとも今の所は、他の誰かとする事なんて想像できないし。 ついひねくれた物言いになっちゃったけど、さっきのセリフだって、決してウソじゃない。いつもはこき使うばっかりで、「お疲れさま」とか面と向かって言う事もなかなか出来ないから…だから今日くらい、こういう形でキョンの労をねぎらってあげたって、バチは当たらないわよ、ね? とにかく、あたしは賽を投げつけてやったわ! あんたはどう出るのよ、キョン!? …と、振ってはみたものの。正直あたしの予想では、キョンが手を出してくる可能性は30%って所かな。「もっと自分を大事にしろ」だとか、当たり障りのない逃げ口上を使ってくるのが一番確率が高い。仕方ないわね。なにしろ、キョンだし。 まあ、あたしとしては別にどっちでも構わないのよ。キョンの奴に、あたしを抱こうとするだけの覚悟があるんなら、それは嬉しい誤算だし。必死になってどうにかあたしを説得しようとするんなら、それはいつも通りのあたしとあいつの関係に戻る、っていう事だもの。 どっちにせよ、あたしがあんたの事を気に掛けてる、その気持ちだけは伝わるはずだとあたしは思っていた。だから、悪いように事が転がったりするはずがないとあたしは信じていた。でも実際には――キョンの反応は、あたしが想像し得なかったものだったのだ。 「…なあ、ハルヒ。『好奇心、猫をも殺す』って言葉、知ってるか?」 「えっ?」 「今のお前のためにあるような、外国のことわざだよ」 むくり、と身を起こしたキョンは、そうしてゆっくりあたしの方へ歩み寄ってくる。部屋の照明は薄暗くて、その表情はハッキリとは見て取れなかったけど、ただなんとなくキョンの体の周りに、うすどんよりとした空気が漂っている、ような気がした。 「キョ、キョン?」 あたしの呼びかけにも応じず、キョンは黙ったままこちらに向かって片手を差し出してきた。あたしの左頬に、キョンの右の手の平が添えられる。 いつものあたしだったら、ここはドキドキしまくりな場面だろう。心臓の鼓動をなだめるのに必死なはずだ。でも今は何か、何かが違う。ちっとも心がときめかない。どうしちゃったの、キョン? 今のあんた、何か、こわいよ…? 「先に謝っとくぞ、ハルヒ。すまん」 少し右手を引きながら、キョンがそう呟く。それからすぐに、ぱしん、という乾いた音があたしの顔のすぐ傍で起こった。 頬をはたかれたのだ、という事を理解するのに、あたしの脳は、それから数十秒の時間を要した。 痛くはない。多分、トランプやら何やらの罰ゲームでしっぺやウメボシを喰らった方が痛い。ただ、キョンに叩かれた、という事実に頭の中が真っ白になってしまっているあたしに向かって、キョンはうめくような声を絞り出していた。 「でもな? 俺にだって許しがたい事ってのはあるんだよ。いいか、これだけは言っとくぞ。俺は間違っても、お前の身体が目当てでSOS団の活動に参加してたわけじゃない!」 あたしはただ、唖然としていた。あたしを睨み据えるキョンの瞳には、確かに憎しみと哀しみの色が入り混じっていた。 「ご褒美に身体を自由にさせてやるだと? 馬の目の前にニンジンでもぶら下げたつもりかよ。そうすれば男なんか、みんな大喜びだとか思ってたのかよ!? 俺も、そんな野郎の一人だと思ってたのかよ――。ふざけんな、人を馬鹿にするのも大概にしろ!!」 いつの間にか、キョンの感情のボルテージは急上昇していた。その怒声が、あたし達のかりそめの宿の中いっぱいに響き渡る。 その後、急速に静寂が訪れて…あたしの耳には備え付けの冷蔵庫の低いブーンという駆動音だけが、ただ虚ろに届いていた。 どうして――どうしてこんな事になってしまったのか。 キョンに頬をはたかれたショックに引きずられながら、それでもあたしは、ひたすらに考え続けていた。 躁鬱病だか何だか知らないが、たかだか心の病気くらいで女の子に手を上げるような、キョンは決してそんな人間では無い。何か、何か理由があるはずなのだ。こいつがここまで激昂するワケが。その証拠に、あたしを見下ろしているキョンの表情は、ひどく悲しく、悔しそうに見える。まるで自分の尊厳を、根こそぎ踏みにじられたような…。 そこまで考えた時、あたしはさっきのキョンのセリフをもう一度思い返してみた。キョンの立場になって、もう一度その意味を考え直して――そして、やっと自分のあやまちに気が付いた。 ああ。ああ、そうか。そうだったんだ。キョンの奴は…口ではなんだかんだ言いながら、こいつはこいつなりに、SOS団の活動に誇りを抱いていたんだ…。 そうよ、あたし自身が何度もキョンに言ってたんじゃない。この不思議探索はデートじゃないのよ、真面目にやんなさい!って。 キョンの奴が大した成果を上げた事はなかったけど、それでもちゃんとSOS団の一員としての自覚は持ってたんだ。こいつはその誇りを、胸に秘めていたんだ。 なのに団長たるこのあたし自らが、午後のパトロール任務を放り出して相方をラブホに連れ込むようなマネをしたら、それは「ひどい冒涜」だと受け取られても、仕方がなかったかもしれない。ごめんね、キョン。あたしにも反省すべき点はあったわ。でも、でもね? すっくとベッドから立ち上がったあたしは、真正面から、毅然とキョンを睨み返してやった。 「『ふざけるな』ですって? 『馬鹿にするな』ですって――? それはこっちのセリフよ、キョン!!」 啖呵と共に、左手でキョンの右腕を掴み、右手をキョンの左脇の下に差し込む。そのままくるりと回転して、あいつの体を腰の上に担いだあたしは、渾身の力でキョンを前方に投げ飛ばしてやったのだった。 女子柔道部に仮入部した際に憶えた技だ。確か『大腰』だっけ? まあ技の名前なんてどうでもいいけど。とにかく、ごろんごろんと面白いくらいの勢いで投げられ、転がっていったキョンは、部屋の出入り口扉の横の壁にぶつかって、ようやく止まった。 一瞬の事で何が起きたのかまだ分かっていないのか、尻餅をついた格好で茫然自失といった顔をしてる。ふふん、いい表情ね。 「人を馬鹿にしてるのは、キョン、あんたの方でしょうが!」 「…なんだって?」 「あたしは、涼宮ハルヒはね! 明日後悔しないように、今を生きてるの! こうしたら得するだろう、こうしたら損するだろうとかじゃなくて、いま自分がどうしたいかを第一に、ひたすら前進してるの! その決断の早さに凡人のあんたがついてこられなくて、戸惑わせちゃった事は一応謝っとくわ。だけど、だけどね!」 心の中の憤りを包み隠さず、あたしはキョンの奴を大喝してやった。 「『好奇心、猫をも殺す』ですって――? そっちこそふざけないでよ! あたしが本当に、ただの好奇心であんたをホテルにまで連れ込んだと思ってんの!? 見損なうな、このバカっ!!」 さっき、キョンは『俺にも許しがたい事はある』と言った。なら、あたしの許しがたい事はまさにこれだわ。キョンの奴が、あたしの決意と覚悟をまるでないがしろにしてるって事よ! 「確かにね!? あんたとここに入って、そーゆー事しようってのは、ついさっき思いついたわよ! 後先考えてないって言われたら、否定できない部分はあるわよ! でもね! あたしだってちゃんと考えたのよ! あんたとそーゆー関係になっちゃってもいいのかって! 初めての相手が本当にあんたでいいのかって…。百万回も! それ以上も! 頭の回路がぐるぐるぐるぐる回って、しまいにはバターになるんじゃないかってくらい真剣に考え詰めたのよ! その上で、あたしはあんたと今、ここに居るのに…それなのにッ!」 さっきのお返しとばかりに、あたしは出来うる限りの鬼の形相で、キョンの奴を見下ろしてやった。もうこうなったら徹底的に糾弾よ糾弾、アストロ糾弾よ! 「あたしだって、こんな事するのはすごく恥ずかしかったのよ! でも、ちょっとしたショック療法っていうか――つまんない悩み事なんて忘れちゃうくらいの刺激を与えたら、あんたが少しは元気を取り戻すんじゃないかと思って…。他にあんたを元気づけてあげられる手段を思いつけなくって、それに、それにそもそもは、あんたがあんな事を…言ったから、だから――」 あれ? おかしいな? キョンの奴を、これでもかってくらい締め上げてやるはずだったのに。気が付くとあたしの言葉は途切れ途切れに、言ってる内容もなんだか支離滅裂になっていた。 そして、頬の上をはらはらと伝わっていく冷たい物…。これは…悔し涙? ちょっと、ダメよ! 何やってんのよ、あたし!? ここは団長としての威厳を見せつけて、キョンの誤解をねじ伏せてやるべき場面でしょ! 何を普通の女の子みたいに泣き崩れそうになってんの!? しゃんとしなさい、しゃんと! ああ、でも無理だ。元々あたしは、感情をセーブするというのが苦手なのだ。ダムが決壊したみたいに、溢れはじめた想いはもう、止められなかった。 「だからあたしは、思い切って一歩踏み出したのに! それをあんたは…男なら誰でもみたいな…言い方をして…。 あんたはただの下っ端だけど…栄えあるSOS団の、団員第1号なのに…。あたしの最初の仲間だったのに…そのあんたに、そんな…風に、思わ…てた、なんて…」 心のどこかで、あたしは、自分が勇気を出したらキョンはきっと応えてくれると信じていた。そう期待していたのだ。でも、その期待はあっけなく裏切られてしまったから、だから――。 「もう…知らない。知らないわよ、あんたの事なんて! このバカ! バカキョン! あんたなんか、一生ぐじぐじ腐ってればいいのよ!」 自分があんまりみじめで、この場にはどうしても居たたまれなくて。あたしは小走りに駆け出した。キョンの横の扉を通り抜けて、表へ飛び出した。 ううん、違う――そうしようとしたのだ、だけど。 ドアノブを回そうとしたあたしの手に、あいつの手が重なっていた。消え入りそうな微かな声で、でも確かに、あいつはこう言った。 「悪い…。すまなかった、ハルヒ…」 なによ。何をいまさら謝ってるのよ。遅いのよ、このバカ! 衝動のまま、あたしはよっぽどそう怒鳴りつけようとした。振り払おうと思えば、あいつの手を振り払う事だって出来た。でも――。 「確かに、俺はバカだった…バカげた勘違いをして、そのせいでお前をひどく傷つけちまって…すまん、本当にすまん…」 キョンの奴、いつになく真剣に謝るんだもの…。自分で先にバカとか言われちゃったら、こっちだって怒りづらいじゃないのよ。 「本当はな? 本当は俺、お前の心遣いが嬉しかったんだ。 昨日の友達の葬式からずっと、俺はなんだかモヤモヤした不安を抱えながら過ごしてた。今日の不思議探索も、家でじっとしてたら今よりもっと気が滅入っちまいそうだから、ただそれだけの理由で参加しに来たんだ」 うつむいたまま、消え入りそうな、か細い声で呟く。あたしには今のキョンが、なぜだかやけに小さく見えた。 「気持ちが沈んでるのは分かってても、自分ではどうする事も出来なくて。お前の言った通り、俺は心の病気とやらに罹ってたんだろうな。 だからハルヒ、お前が俺の事を気に掛けてくれたのが嬉しかった。いきなりホテルに連れ込まれた時はそりゃもちろん驚いたけど、本心じゃすごく嬉しかったんだよ。 けどな――。もしも、もしもだ。 ここにいるのが俺じゃなかったら? そう思ったら、その嬉しさが逆に、心をキリキリ締めつけ始めたんだよ」 そうして再び口を開いたキョンの独白には、明らかに自嘲の色が混ざっていた。 「もしも今日のクジ引きでコンビを組んでたのが、俺じゃなくてハルヒと古泉だったら? もしも落ち込んでたのが俺じゃなくて、古泉の野郎だったら? ハルヒの奴は同じような手段で慰めたりしたのか?ってな」 「ちょ…なに言ってんのよ、キョン! そんな事あるわけが」 「俺だって分かってたさ、そんなのは邪推だって! だけど、それでも…」 一瞬、語気を鋭くしたかと思うと、キョンの奴はあたしの手に重ねていた手を、自ら離してしまった。その手で自分の顔を覆って、うめくように呟いた。 「それでも一度心にまとわりついた疑念を、俺は振り払う事が出来なかったんだ。 お前に優しくされるたびに、俺は逆に、針で突つかれたような気分になって…お前の善意を、わざとひねくれて受け止めて。正直、ビックリしたよ。俺ってこんなに卑屈な人間だったんだな、ってさ」 乾いた笑いを洩らして、それからキョンは、疲れた顔であたしを見上げた。 「すまなかったな、ハルヒ。お前に投げられて、逆になんだかスッとしたよ。自分がどれだけバカだったか、ようやく実感できた。 それだけ伝えたかったんだ。もうどこへでも行っていいぜ? 俺なら大丈…」 「どこが大丈夫なのよ、このバカっ!」 くだらないセリフを聞き終えるまでもなく、あたしはキョンの脳天にチョップを振り下ろしてやったわ。そしてあいつがひるんだ隙に耳たぶを引っ掴み、今度こそ大声で怒鳴りつけてやったの。 「自己陶酔はそれで終わり? だったら、今度はこっちの番ね!」 宣告するなり、有無を言わさず。 あたしは引っ張り上げたキョンの頭を、空色のブラウスの胸の中に、ギュッと抱きしめてやったのだった。 「まったく! あんたはいつも斜に構えてばっかだから、感情表現ってのが下手くそなのよ。だから心に余計な重荷を抱え込んじゃうのよね」 「お、おい。ハルヒ、これは…?」 「なによ。どうせ言葉で何を言ったって、あんたはひねくれた受け取り方をしちゃうんでしょ? だから態度で示してあげてんの。 言ったはずよ、あたしがあんたを治療してやるんだって。言ったからには、あたしは断固としてあんたを治すの! どんな手段を使ってもね!」 ぴしゃりとキョンの反論を押さえ込み、それからあたしは、最上級の微笑みであいつに語りかけた。 「だから、キョン。病気の時くらい、あたしを頼りなさいよ。 これもさっき言ったはずでしょ、今この時、この場所でだけは、あたしの事をあんたの好きなようにさせてあげるって。 分かった? 分かったなら今は、あたしの胸に不安でも卑屈さでも、何でも委ねちゃいなさい。全部受け止めてあげるから」 「ハルヒ、お前…怒ってないのか?」 「団長様を舐めんじゃないわよ。心が苦しい時とか、つい思ってもない事を口走っちゃったり、そういう気持ちくらいお見通しなんだからね!」 あたしの、自分で言うのも何だけど天使のような慈愛の言葉に、キョンの奴はしばらく戸惑いの表情を浮かべていた。けれども、やがて両の目蓋を閉じ、あたしの胸に深く顔をうずめてくる。 「ん、素直でよろしい。 それじゃ、これは団長としての命令ね。さっさと普段のキョンに戻りなさい。下っ端のあんたがそんなんじゃ、みくるちゃんや有希や古泉くんに迷惑が掛かるんだから」 「………ああ」 そうして小刻みに震えるあいつの背中を撫ぜ、胸の中から響いてくる小さな嗚咽を聞きながら、あたしは心の内で、いつものあいつの口癖を真似ていたのだった。 やれやれ、本当に世話の焼ける団員なんだから――ってね。 それにしても、まあ。 いつもはあれだけ減らず口ばかり叩いてるくせに、一度タガが外れたらこんなものなのかしら男の子って。図体ばかり大きくっても、こいつも中身はまだまだ子供ね。 「ハルヒ…」 「うん? なあに、キョン」 「お前の身体って、なんだかいい匂いが(バシッ!)」 訂正! 訂正訂正! こいつの中身はエロエロ大王だわ! 「どさくさに紛れてなに言いだすのよあんたはッ!?」 「いってーな! なんだよ、褒め言葉だろ?」 「ほ、褒め方がヘンタイっぽいのよっ! いきなりそんなコト言われる方の身にもなってみなさいよ、このバカっ!」 予想してなかった所に不意打ちを喰らって、あたしは思わずキョンの奴に手を上げてしまっていた。もうほとんど条件反射。パブロフの犬も爆笑ね、これは。 そんなに強く引っぱたいたつもりはなかったんだけど、中腰の姿勢であたしの胸にすがっていたキョンは、よろけた拍子に後頭部をしたたか壁にぶつけてしまった様子だった。う~っ、そんな恨みがましい目でこっち見なくたっていいじゃない。今のは事故よ事故! 事故なんだから! そりゃ『今だけはあたしのこと好きなようにしなさい』って言い出したのはこっちの方だけど、でもあたしだって初めてでやっぱり緊張してるんだし。あんただって、少しはムードを盛り上げる努力とかしなさいよ! ほら、その、キ、キ、キスとか、さ!っていうかキョン、あんた、まだあたしに――。 などと、あたしが形容しがたい感情の変転に心を振り回されていると。キョンの奴はその表情を、唐突に苦笑いに変えた。 「やれやれ、今のも本気で褒めたつもりだったんだが。どうも人生ってのはままならないもんだ」 「なによ、キョンったら大げさね。こんな事くらいで人生語っちゃって」 「いや、まあ何というかだな…」 言いづらそうに語尾を濁して、キョンは頬を掻きながら視線を逸らした。 「これ、本人からは『内緒ですよ?』って言われてたんだけどな。実は俺、午前の探索の時に忠告を受けてたんだよ、朝比奈さんに」 「へっ? みくるちゃんから、忠告?」 ええと、それからこいつが語った所によると。 午前の間に、みくるちゃんからキョンにアドバイスがあったそうなのよ。いわく、 「あのね、キョンくんの事も心配なんだけど、わたしとしては涼宮さんの事も心配なの。キョンくんがいつもの調子じゃない事を、彼女、すごく気にしてるように見えたから。 だからキョンくん、本当に元気出してくださいね? それと、もしかしたら涼宮さん、ちょっと強引な方法でキョンくんを励まそうとしたりするかもしれないけど…広い心で受け止めてあげてね? お願い」 という事らしい。 へえ、あのみくるちゃんがそんなお姉さん的発言をねぇ。まがりなりにも先輩、って事なのかしら。外見からは、とても年上とは思えないんだけど。 うーむ、でもあたしがキョンの事を気にしてる間に、みくるちゃんはあたしとキョンの両方を心配するだけの余裕があったわけだから、ここは素直に敬服しておくべきかしら。うん、そうね。次のコスは女教師物なんかが良いかも………って、えっ? ええっ!? という事は? ロボットみたいにぎくしゃくした動きでキョンの方へ首を向けたあたしは、おそるおそるあいつに訊ねかけてみた。 「じゃ、じゃあキョン、あんたひょっとして…気付いてたの?」 「やれやれ、やっぱそうだったのか。長門が午後のクジ引きの爪楊枝を差し出してきた時点で、妙な感じはしてたんだけどな」 少し困ったような顔で、キョンの奴は大きく肩をすくめてみせた。 つまりまあ、そういう事だ。 午前の探索の間に、あたし、有希、古泉くんの3人は、キョンを元気付けるための作戦を立てた。その際、古泉くんは 『彼の場合、変なお膳立てをしてしまうと、かえって反発しかねません。ここはあくまで偶然を装うとしましょう』 というアドバイスをくれて、あたしと有希もそれに同意。午後の班分けの時に有希に協力して貰って、作戦は決行されたわけよ。 ところが一方、同じく午前の探索の間に、みくるちゃんはキョンに 『もしかしたら涼宮さん、ちょっと強引な方法でキョンくんを励まそうとしたりするかもしれないけど――』 とアドバイスしていたわけで。キョンの奴には、あたし達の“お膳立て”はバレバレだったらしい。 はー、道理でキョンの奴、あたしの言葉をひねくれて捉えてたわけだわ。 あたしだって時々、親の気遣いなんかを「余計なお世話っ!」とはねのけてしまう事があるもの。心を病んでいたキョンが、みんなの心配を逆に、自分が弄ばれてるように錯覚して受け止めてしまったとしても無理はないわね。 けど、それにしたってこれは…ねえ? さっきまでキョンの治療をしてあげるとか言っていたあたしだけど、今はむしろ、自分の方が虚無感とやらに襲われてる気分よ。 「なんだかなあ…。あたし達SOS団全員、お互いに良かれと思って、その実は足の引っ張り合いをしてたわけか…」 「俺も結局、せっかくの朝比奈さんの忠告を生かせなかったし。結果的にはそういう事になるかもな」 だからって、もちろんあたしは、みくるちゃんを責めたりする気にはならないわよ。みくるちゃんはみくるちゃんで、あたし達のためにいろいろと気を使ってくれたわけだしね。 ただ、何と言うか…廊下で向こうからきた人をよけてあげようとしたら、あっちも同じ方向に動いてきたみたいな? そんな苛立ちと虚しさを、さすがのあたしもひしひしと感じざるを得なかったわね。さっきまであれやこれやと、さんざん気を揉んできただけに。 「なんか、急に疲れがどっとわいてきちゃったわ。もしかしてあたし達って、ずっとこんな風にうまく行かないのかしら」 「おいおい、さすがにそれは…ん、いや待てよ? だとしたら、あー…」 あたしの嘆息に苦笑しかけて、キョンは急に真剣な顔になると、なにやら考え込み始めた。ちょっと、いったい何なのよ? 「なあハルヒ、お前は普通じゃない体験をしたいんだよな?」 「はぁ? 何よいまさら」 「そいつは一言で言うと、映画や小説の主人公みたいになりたいって事か?」 「ええ、そうね! あたしにはやっぱり、主役級の大活躍こそがふさわしいもの!」 鏡を見るまでもなく、この時のあたしは宝石みたいに瞳をキラキラ輝かせてたはずよ。そんなあたしに向かって、キョンの奴はどこか呆れたような表情を見せた。ちょっと、自分で振っといてその態度は何よ!? 「それじゃ仕方がないな。お前の行く手には、常に何らかの障害が立ちはだかるってこった」 「えっ? どういう事よ、それ!?」 「だってそうだろ。俺が映画で見た冒険家は、お宝にたどり着くまでにゴロゴロ転がる大岩に嫌ってほど追い回されてたし、名探偵は後ろから角材で殴られたり、覚えのない冤罪の汚名を被せられたりしてたもんだ。 逆の視点から見れば、映画やら小説やらの主人公ってのは、そういうトラブルをどうにかして乗り越えていくからこそ魅力的なんじゃないのか?」 愉快じゃないけどキョンの指摘は確かで、あたしは頷かざるを得なかった。 「それはまあ…そうかもしんないけど」 「つまりだ、お前が主役級の大活躍って奴を追い求めてる以上、必然的に何かに妨害されて、どうにも思うように事が運ばないって状況が訪れるわけだな」 そのセリフから一拍置いて、すっと目を細めたキョンは、なにやら挑戦的にあたしに問いかけてきたのだった。 「さて、どうするんだ団長さんよ? これからもいろいろと邪魔が入るとして、それでもまだスーパーヒロインを目指すのか?」 ああ、この顔だ。少し皮肉っぽい口元。諦観の混じった眼差し。小首を傾げて、どこか挑発するようにあたしに訊ねかけてくる。 あたしに向かって、こんな顔をする奴はそうはいない。あたしの大っ嫌いで、そして大好きな――いつもの、キョンの小憎たらしい表情だ。 「ずいぶん大層なご口上ね、キョン。あたしを試してるつもりかしら?」 キョンの奴が復調したからには、何も遠慮する事はない。あたしは腕組みをして、キョンの頭の真横の壁にドン!と片足を踏みつけると、大上段から丁寧に答えてさしあげたわ。 「妨害? 邪魔? 望む所よ、来るなら来たいだけ来ればいいわっ! この涼宮ハルヒ様の前を塞ぐような連中はね、たとえ緑色の火星人だろうが青っちろい海底人だろうが、みんなまとめてボッコボコにして…あげ…」 そう、あたしは大見得を切るつもりだった。それにやれやれとキョンが呟くのが、いつものあたし達の小気味良いパターンのはずだった。のに。 「…ハルヒ?」 けれどもその時、キョンの顔を見た瞬間。 あたしはなぜかセリフを途中でノドの奥に詰まらせて、ホテルの一室に、馬鹿みたいに呆然と立ちつくしてしまったのだった。 どうしたんだろう。舌がなんだか縮こまっちゃって、うまく話せない。 「ね、ねえキョン。その、つまんない疑問なんだけど、さ」 「うん?」 こちらを見るキョンの様子がおかしい。明らかに心配そうだ。そんなに今のあたしはひどい表情をしているのか。 「こないだ、なんとなく深夜映画を見てたのよ。それがまた陳腐でチープなB級とC級の相の子っぽい、つまんない代物だったんだけど」 「ふむ、そりゃまた中途半端につまらなそーな映画だな。しかしハルヒ、あまり夜更かしが過ぎるとお肌に悪いぞ」 「うっさい、話を混ぜっ返すなっ! …でね、その映画ってのが、途中で主人公をかばってヒロインが死んじゃうのよ。でもって墓前に復讐を誓った主人公が敵の本陣に乗り込んで、クライマックスになるわけなんだけど」 べたりと汗のにじんだ手の平を握りこんで、あたしはキョンに訊ねかけた。 「もしも。もしもよキョン、あんたが言った通り映画の主人公がトラブルを乗り越えて行くべき存在なら…ヒロインが死んじゃったのって、それって主人公のせいなのかしら…?」 あたしがその質問をした途端、キョンは「あ」と小さく声を上げた。苦虫を噛み潰したような表情になって、それから、ゆっくり口を開いた。 「おい、ハルヒ。分かってるとは思うが、さっき俺が言ったのは『物語を客観的に見ればそういう考え方も出来る』って程度の話だぞ」 うん、そうよね。それは分かってる。 「脚本家やらプロデューサーやらの都合じゃヒロインが死ぬ必然性はあったかもしれないが、それは当然、主人公の意思とは無関係だ」 それも分かってる。けど。 「だいたい、自分が活躍するためにヒロインが死ぬ事を望むヒーローなんか居るかよ。もし居たとして、そいつはヒーローなんかじゃない。 だからその、何というか。要するに、俺はお前を責めるつもりであんな発言をしたわけじゃないってこった。単純にお前にトラブルを乗り越えてく覚悟があるかどうか確かめたかったっつーか、なんとなく意地悪な質問をしてみたかっただけというか。 大体ここまで人を巻き込んどいて、いまさら遠慮とかされても逆にだな」 「分かってるわよそんな事ッ! だけど…」 そう、分かってる。分かってるのよ。キョンの言い分は全て理にかなってる。こんなに声を荒げてるあたしの方が、きっとおかしいんだ。 でも。それでも! 「でもやっぱり、主人公が英雄的活躍を求めた結果として、ヒロインが死んじゃった事には変わりないじゃない!? あたしは、そんなのは嫌…。あたしのせいでキョンが居なくなるなんて、絶対に我慢ならない事なのよ!」 ああ、言ってしまった。直後に、あたしはそう思った。 それは言いたくなかったこと。認めたくなかったこと。でも言わずにはいられなかったこと。 「――北高に入って、あたしの日常はずいぶん変わったわ。毎日がとても楽しくなった。中学の頃なんかとは段違いに。 あたしはそれを、自分が頑張ったおかげだと思ってた。SOS団を作って、不思議を追い求めて。前に向かってひたすら走ってるから、だから毎日楽しいんだと思ってた。 昨日まで、ついさっきまで、そう思ってたのよ! でも、違った。本当はそうじゃなかった…」 「何が違うんだ? お前が日常を変えようと努力してたって事なら、俺が証人台に立ってやってもいいぞ? その努力の方向性が正しかったかどうかは別問題として」 この湿った雰囲気を変えようとでもしてるのだろうか、軽口っぽくそう言うキョンを、あたしは鋭く睨みつけた。 「だから、それよ! 気付いちゃったのよ、あたしは、その事に!」 「意味が分からん。いったい何に気付いたっていうんだ?」 「あんたが、あたしの背中を見ていてくれるから! だからあたしは走り続けていられるんだって事によ!」 気が付くと、あたしは深くうつむいていた。今の表情を、キョンの奴には見られたくなかったのかもしれない。 「中学の頃だって、あたしは走ってたのよ。日常を変え得る不思議を捜し求めてね。でもあたしはずっと一人で…息切れとか起こしたって、それに気付いてくれる奴は誰も居なかった…」 「…………」 「あの頃と今と、何が違うのか。 今のあたしが前だけ向いて、心地よく走り続けられるのは、それはあたしの後ろで、あたしの背中を見続けてくれる奴が居て…。もしもあたしが転んだとしても、すぐにそいつが駆け寄ってきてくれるっていう安心感の後ろ盾があるからだ――って…気付いちゃったのよ…」 喋っている間に、いつの間にか立ち上がったキョンが、すぐ前に立っていた。あたしはうつむいたままだからその表情は分からないけど、腕の動きから察するに多分、さっきぶつけた後頭部をさすっているんだろう。 「ありがたいお言葉なんだが、お前にそう殊勝な事を言われると、驚きを通り越して寒気がするんだよなあ。 ともかくハルヒよ、別にそれは俺だけの話じゃないだろ。朝比奈さんや長門や古泉、その他もろもろの人がお前を支えてくれてる。俺なんかパシリ役くらいしか務まってないぞ」 「そうよ! あんたはみくるちゃんみたいな萌えキャラでもないし、有希ほど頼りになんないし、古泉くんほどスマートでもないわ! せいぜい部室の隅に居ても構わないってくらいの存在よ!」 「やれやれ、俺はお部屋の消臭剤か」 なんで、あたしはこんなにイラついてるんだろう。どうしていちいちキョンの言葉に反応してしまうんだろう。 あたしの不愉快さは、それはもしかして…不安の裏返しなの? 「そう、あんたは特に取り柄があるわけでもない、ただ単に手近な所に居ただけの奴だったのに! そのはずなのに! でもあの春の日に、あたしの髪型の変化に気が付いたのはあんたで…その後もあたしの事を一番気に掛けてくれるのはあんたで…。 いつの間にかあたしは、あんたに見られる事を意識するようになってた…。あたしがこうしたらあんたはどんな反応するだろうって、それが一番の楽しみになってた。 あんたが変えちゃったのよ、あたしを! もうあの頃のあたしには戻れないのよ! それなのに、あんたがあんな事を言うから…」 ああ、失敗。失敗だ。 うつむいてしまったのは大失敗だった。確かに表情を見られはしないけど、にじみ出てくる涙をこらえられないんじゃ、意味がない。 「あんたが…人間なんて明日どうなってるか分からないとか言うから…。だからあたしは、こんなに不安になってるんじゃない!」 あんまり悔しくって、あたしは涙に濡れた顔を上げ、再びキョンの奴を睨み据えていた。 つい先程聞いた有希のセリフが、また胸の奥でこだまする。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 『価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった時の喪失感は、絶大』 今なら、その意味が分かる。 あたしにとってあるはずのもの、そこに居てくれなければ困るもの。それは、キョンだったんだ――。 「もし…もしもあんたを失っちゃったら、きっとあたしは今のあたしのままじゃいられない…。何度も何度も後ろを振り返って、おちおち前にも進めなくなる…。 そんなの嫌! そんなのはあたしじゃない! だから、あたしは!」 こんな事を言ったら、キョンはきっとあたしの事を軽蔑するだろう。そう思いながらも、でも一度ほとばしった罪の告白は、途中で止められるものではなかった。 「あんたをここへ、ラブホへ誘ったのは、なんとか励まして元気付けたかったからっていうのは本当。 でもあたしにはあたしなりの思惑があって…。あんたが目の前に居て、あんたに触れる事が出来る内に、あんたとしておきたかった…。 あんたがあたしと一緒に居たって証拠を、心と身体に刻み込んでおきたかったのよ! 悪い!?」 はあ。 言っちゃったなあ…あたしのみっともない本音を。 キョンの奴も、さすがに愛想が尽きただろう。いつも偉そうぶってるあたしがこんな、ただの利己主義で動いてるような人間だと知ったら。 キョンの反応が恐くて、あたしはギュッと固く目を瞑って、肩を震わせる。そんなあたしの耳に、キョンの呆れたような声が届いた。 「やれやれ。男冥利に尽きるお言葉ではあるんだが、願わくばもう少し可愛げのある言い方をしてくれないもんかね」 「………は?」 「いや、訂正しとこう。可愛げのあるハルヒってのは、やっぱりどうも薄気味悪い。少し横暴なくらいがお似合いだな」 「な、なんですってぇ!?」 あたしの本気を茶化すような、あまりといえばあまりの雑言に、あたしは思わず目を剥いて、キョンの胸倉を掴み上げてしまう。 すると、キョンの奴は悪びれもせずにあたしの目を見つめ返し、子供をあやすようにポンポンとあたしの頭を叩きながら、こうささやいた。 「なあ、ハルヒ。ひとつ訊くぞ?」 「…何よ」 「お前は、俺に消えていなくなってほしいのか?」 「なっ、このバカ! 今までなに聞いてたのよ、その逆でしょ!? あたしは、あんたと…」 「だったら、つまんないこと心配すんな」 え、と顔を上げたあたしに、キョンは驚くほどキッパリと言い切ったの。 「お前が望んでる限り、俺は、ずっとお前の傍にいるはずだから」 ――まったく。 まったくもう、なんでこいつは。 普段は優柔不断の唐変木ののらくら野郎のくせに、こういう時だけは断言できたりするのだろうか。 不覚にも、ぐっと来てしまったじゃないか。 不覚、不覚! 涼宮ハルヒ一生の不覚! 気付けばあたしはキョンの胸にすがりついて、ボロボロに泣き崩れていた。さっき流した悔し涙や、不安と寂しさで流した涙とは全然違う、それは頬がヤケドしそうなくらい、熱い、熱い涙だった。 あーあ、ヤんなっちゃうな。 キョンのシャツに濡れた頬をうずめながら、あたしは心の中で溜め息を吐いた。一度タガがはずれちゃったら、子供みたいに脆いのはあたしの方じゃない。そんなあたしの背中を、キョンは優しく撫ぜてくれている。 今日は、あたしがキョンの奴を励ましてやるはずだったのに。いつの間にこうなっちゃったんだろう。なぜだかこいつ絡みだと、物事がいちいちうまく運ばない。 どうしてキョンが相手だと、こんなにも調子が狂っちゃうのかな。理由を知っていたら、誰か教えてほしい。 うん、でもそんなに悪い気はしない。っていうか、むしろあたしはずっとこうしたかったのかな…? 弱みも何も全部さらけ出して、キョンにぶつけてみたかったのかも。 ひょろっとしてる印象だったけど、キョンの胸、意外とガッシリしてる。やっぱり男の子なんだなぁ。クーラーが強めに効いた部屋の中、こいつの体温が心地いい。もう、いっそこのまま時間が止まってくれれば…いいの…に…? ――えーと、ちょっとゴメン。あたしのおへそ辺りに当たってる、この硬いモノは、一体なに? あ、いやいい。説明いらない! 遠慮する! ここがどこで何をする場所かって考えたら、自ずと分かるし! そうよ、何をいまさら。落ち着け。落ち着け、あたし。はい、深呼吸。ひっひっふー、ひっひっふー。 はぁ。しかしこいつも、ついさっきまで 『俺は間違っても、お前の身体が目当てでSOS団の活動に参加してたわけじゃない!』 とか何とか言ってたくせに、ココはしっかりこんなにしてんのね。まったく、これだから男って奴は! まあ、でも大目に見てやるとしますか。キョンの奴、あたしでこんなになってるんだ――って思ったら、正直ちょっと嬉しいし。 いいわ、ここはあたしの方からきっかけを作ってあげる。このままじゃ、まるであたしが一方的に泣かされてるみたいで、なんだかシャクにさわるしね! トン、と軽く突き放すように、あいつの胸に両手をつく。2、3歩下がって、数秒うつむき、それからあいつに向かって全力の明るい笑顔を見せつけてやる。 「キョン、あたしちょっと顔洗ってくる!」 「え?」 「こんな顔、みくるちゃん達に見せられたもんじゃないでしょ! いい? すぐ済むからちゃんと待ってんのよっ!?」 キョンの眼前に人差し指を突き出し、なるべくいつもの口調っぽくそう命令する。キョンの奴はまだ心配そうな、そしてなんだか名残惜しそうな表情をしていた。ふふ、変な顔! 精一杯の笑顔を浮かべたまま、あたしは虚勢を張ってるのがバレない内にバスルームへと駆け込んで、後ろ手に扉を閉めた。 ふー。よし。 ひとまず作戦の第一段階は成功ね。 鏡を見てみる。うわ、眼が真っ赤だ。目蓋もちょっと腫れぼったい。あれだけぐずってたんだから、それも当然か。 蛇口をひねり、両手ですくった冷たい水で、叩きつけるように何度も顔を洗う。備え付けのタオルで顔を拭いて、もう一度、鏡を見てみる。うん、だいぶマシになったかも。 そうしてあたしは、鏡の中のあたしと視線を合わせた。 「本当にいいかな、あたし?」 (いいんじゃないの、あたし) すぐに鏡の向こうから答えが返ってくる。そうね、さっきの涼宮ハルヒ百人委員会は、賛成87票、反対5票、棄権8票だった。今は違う。今は賛成100票だって確信できるわ。 あいつが、あんなにもキッパリと言い切ってくれたから。だからもう、ためらわない。後戻りはしない。 ん、とひとつ頷いたあたしは、ブラウスの胸のボタンを上からひとつずつ外し、インナーのキャミソールごと一息に脱いで、それを衣装カゴに、ぽいと放り込んだのだった。 続いて背中に手を回し、ブラのホックに指を掛ける。瞬間、なんとなく孤島での嵐の中の出来事を思い返した。 あの時も、キョンはあたしの事を助けてくれたっけ。あいつは自分の事を「せいぜいパシリ役」だとか言うけど、ああいう時に自分がどれだけ他人のために一生懸命になれるのか、当の本人は気付いてないのかしらね。 くすっと、自然に笑みがこぼれる。気恥ずかしさよりもなんだか愉快な気分で、あたしはブラの肩紐から両腕を引き抜いた。 スカートのホックも外し、すべり落ちたそれを爪先に引っ掛けて、これも衣装カゴの中へ。ショーツは…履いたままでいいか。ほら、男の子ってこういうの自分の手で脱がすのも萌え~!だとか言うじゃない? …ってのは建前で。本音を言うとさすがに全裸っていうのはちょっと抵抗があるの。まだ初心者なんだもの、仕方ないでしょ!? とにかく、今はこの薄布1枚があたしの心の防波堤だ。うむ。 とまあ、ここまでは良いとして。次にあたしは、初心者ならではの難問にぶち当たってしまったのよね。 「靴下って…脱いどくべきなのかしら…?」 しまった、あたしとした事が。これはリサーチ不足だったわ。う~、だってそういうフェチとか? 正直あたしには形式的な面しか分からないんだもの。 でも大丈夫、こういう時こそ萌えキャラのみくるちゃんでシミュレートよ! えーと、パンツ一丁および靴下オンリーな姿でキョドってるみくるちゃん…。う~む? …なんだか狙い過ぎであざとい気がするわ。キョンはもう少し自然体な方がストライクよね、きっと。 結局、あたしは靴下も衣装カゴに放り込んで、裸身の上にバスタオルを巻いた。本当はシャワーを浴びたい所だったけど、軟弱者日本代表みたいなキョンの場合、あたしが出て行くまでの間に緊張感に耐え切れなくなって逃げ出しかねない。だからここは譲渡してあげるわ。あたしの気遣いに感謝なさい、キョン! 出て行く前にもう一度鏡を見て、髪型やら何やらをチェック。それから生唾をひとつ飲み込んで、あたしはバスルームの扉を押し開けた。 いっそのこと冗談っぽく、 「はーい出前でーっす! 涼宮ハルヒ一丁、お待ちーっ!」 とでも言ってやろうかと思ったけど、さすがにそれはキョンも引くわね。 っていうか、やろうったって出来ない。いつか部室であたしが着替えようとした時みたいに、キョンにスルーされたらどうしようとか思うと、それだけで足元がおぼつかなくなる。ううん、大丈夫。あの時とは状況が違うわ。 はたして。キョンの奴はあたしに背を向けるように、ベッドから前に身を乗り出していた。どうやらテレビ台の中のゲーム機を物色していたらしい。扉の音に気付いて、こちらへ振り返ったキョンは一瞬ぎょっとした表情を見せ、それから困ったように視線をあらぬ方向へそらした。あー、でもこっちの方をチラ見はしてるみたい。 良かった。良くはないけどでも良かった。顔を洗うだけにしては時間が掛かり過ぎなのである程度は察していたのか、キョンの奴、思ったよりはあたしの格好に動揺してないみたいね。 ベッドの端に腰掛け直したキョンは、あ~、とか、ん~、とか唸りながらしばらく言葉を選んでいたけれど、結局うまい表現がみつからなかったのか、やがて所在無げに立ち尽くしているあたしに向かって、無言のまま自分のすぐ左隣をポンポンと叩いてみせてくれる。 内心でホッとしながら、でもその思いはおくびにも出さずに、あたしはバスタオルの胸元を押さえつつ小走りでキョンの元へ駆け寄って、誘いのまま横に腰を下ろした。 むう~。隣に座ったはいいけど、キョンと視線を合わせらんない。あたしは馬鹿みたいに、前方のカーペットの模様ばかりを眺め続けてる。キョンはキョンで、こっちをまともに見ようとしないし。まるでクイズ番組に出場してはみたものの、緊張しすぎで何も答えらんない一般視聴者みたいだわ。 きっかけ、何かきっかけはないものかしら。いっそ空から隕石でも落ちてきてくれれば、キャッ!とキョンにしがみ付く事だって出来るのに。などと谷口並みにアホな事を考えていると、キョンがぽそりと、呟くようにこう訊ねかけてきた。 「おい、ハルヒ。本当にいいのか…?」 「な、何よ!? 怖気づいてんの、あんた!?」 あーん、もう! この期に及んで何を言い出すのよキョンったら! 「すまん、お前がふざけてこんな真似してるわけじゃないってのは分かってる。こういう事訊くのって失礼だよな。 でも俺は、お前が心を病んでた俺を励まそうとしてくれてたのを知ってるわけで…。つまり、何というか」 「…………」 「今このまま、お前とその、ヤっちまうのって、なんだかお前の善意につけこんでるみたいで、どうも気が引けるんだよな。怖気づいてるって言ったら、確かにそうかもしれないんだが」 そう言って、申し訳なさそうに目線をそらす。そんなキョンの横顔に、あたしは再び、はぁ、と溜め息を洩らした。 こいつのこういう律儀な所って、嫌いじゃないけどさ。これから先、苦労させられそうね。心の中でそう嘆きながら、あたしは両手でキョンの左手を引っ掴み、あたしの左胸に強引に押し当てさせてやったのだった。 「っ!?」 「ねえ、キョン。あたしさ、以前からずっと自分のこの胸が疎ましかったのよね」 キョンの奴は大きく目を見開いて、口をパクパクさせてたけど、あたしは構わずに話を進めた。 「この胸が膨らみ始めた頃から、親も、周りも、あたしに“女の子らしくあること”を強いるようになってきたんだもの。 自分の行動に枷をはめられたみたいで、だからあたしはこの胸がキライだった」 話しながら、あたしはふふっと軽く笑う。なぜなのかしらね、キョンが相手だとこういう話題も気負わずに話せるのは。 「ほら、高校生活の最初の頃、あたしは男子が教室に居ても平気で着替えてたりしてたじゃない? アレも、当てつけみたいなものだったのよ。胸があろうがなかろうが、あたしはあたし、涼宮ハルヒなんだ――って、無言の内に、あたしはそう主張してるつもりだったのね」 「ああ、アレにはびっくりさせられたな。もしや特殊な性癖の持ち主なのかと、密かに期待したりもしたもんだが」 「バカね、そんなわけないでしょ!?」 掴んでいた手の平の皮を、ギュッとつまみ上げる。キョンの呻き声をわざと無視して、あたしはさらに言葉を続けた。 「でもね、今はちょっと違うかな。今は下着姿だって、そう易々と見せてやるつもりもないし、あたしのこの胸で誰かをドギマギさせてやれるんなら、それもいいかなって思ってる。 それがどうしてかは…そのくらいはいちいち説明しなくても、おバカのあんたにも分かるでしょ、キョン?」 目を細めて、あたしはキョンに微笑みかける。バスタオル越しにでも、あたしのこの鼓動は伝わってはずよ。ね? ああ、それにしても。あの頃のあたしは、本当にひどい考え違いをしてたんだなあ。女の子同士がスキンシップで触れ合うのと、男の子が女の子に触れるのとじゃ、ぜんぜん意味合いが違うんだ。 うー、みくるちゃんゴメン。いつぞやのコンピ研での一件は、いま思うとちょっとひどかったかも。いつかきちんと謝っておこう。などとあたしが考えていると、キョンの奴がいつになく真摯なまなざしをこちらに向けてきた。 「すまん、ハルヒ」 ふん、ようやくあたしのこの想いを理解できたみたいね。ちょっとばかりまだるっこしい気分にさせられたけど、まあいいわ。分かってくれたんなら許してあげ…。 「俺も健康な若い男子なんでな。この状況はちょっとばかり刺激が強すぎるというか」 は? 「もう理性が持たん」 あの、もしもし? 「正直、たまりませんッ!!」 言うなり、キョンとの密着感が急激に増して。あたしはあっという間にベッドに押し倒されていた。 あーっ、もう! ちょっと見直してやったら、すぐこれだ! どうしてこういつもいつも、言う事とやる事がちぐはぐなのよあんたはっ!? そんなにがっつくんじゃないわよ! この…バカ…。 思わぬキョンの強引さに、あたしは少し眉をひそめつつ、諦めぎみに目を閉じた。いいわ、もう。煮るなり焼くなり、今度こそあたしの事をあんたの好きにしなさい、キョン――。 布団の冷たさとキョンの温もりとの狭間で、熱気を帯びたあいつの吐息が降りてくる。心持ち尖らせたあたしの唇の先が、やがて包み覆われていく。 なんだろう、初めてのキスなのに、初めてじゃない感じ。求めていたものが満たされていくような、そんな感じ。 できる事ならずっと、こうしていてほしい。開けば生意気な言葉ばかりポンポン飛び出すあたしの口なんか、このまま塞ぎ続けてほしい。ねえ、キョ…んっ? わ、わ。キョンの奴、一度唇を離して息を吸い直したと思ったら、今度はさっきよりも強く、こするように押し付けて、あたしの唇の間を割って舌先を入れてきた…。 いやあのその、あたしだって大人のキスがそーゆーものだって事くらい知ってるわよ!? でもちょっといきなりすぎっていうか、こっちだって心の準備ってものが、ねえ? う。あたしの前歯の上下の境を、キョンの舌がなぞってる。もっと奥にまで入り込みたいの? そうなのね? 仕方がない。そう、仕方がないので、あたしはあいつをもう少しだけ受け入れてやる事にした。――その数秒後、あたしは自分の判断および見通しが甘かったのを思い知る事になる。 ちょん、と先端と先端が触れて、それだけで怯えたように逃げるあたしの舌を、キョンの舌が追いかけて、押さえつけ、絡め取るように根元から舐め上げ、吸い上げて…。 ちょっと、ちょっと何よこれ!? なんかこれエロい! エロいわよこのキス! なんとなく口の中の出来事をあたしとキョンに置き換えて想像してみたら、体の奥の方が大変な事になってきちゃったじゃない。 あーん、前に見た夢だってリアリティありすぎだって思ってたのに! 現実はさらに凄いってどういう事よ!? もうっ、キョンのすけべぇ! ヤバい。いや本当に。これは少々ヤバいかもしんない。あたしは薄ら寒い恐怖さえ感じていた。キョンの事をあまりに過小評価していたのかもしれない。 単になりふり構わずっていうだけの感じだけど、こうも一気呵成に攻め込まれたんじゃ…好きにしなさいどころじゃないわ、まるで抵抗できない。このままじゃ、あたしがあたしでなくなっちゃいそう。だいたい、キョンの奴にいいようにあしらわれっぱなしっていうこの状況が気に食わないわ。キョンのくせに、生意気よ! なんとか主導権を握り返さなきゃ、と焦燥感に追われるあたし。しかしながら…いつも古泉くんとやってるボードゲームの成果なんだろうか、あたしはまたしても、あいつに先手を打たれてしまったのだった。 キ、キ、キスしながら耳を撫ぜるなあっ! あやうく、あたしは官能の波に飲まれてしまう所だったわ。けれどもその間際、頭の中にふっとひとつの疑問が浮かんで、あたしは精一杯の力でキョンに抗った。 「ぷはっ。ちょ、ちょっと待ちなさいよ、キョン!」 「あ…悪い、なんだか夢中になっちまって。息、苦しかったか?」 「それは別にいいのよ! いや良くないけど!」 「どっちだよ」 「だから、あたしが言いたいのはそういう事じゃなくて! …なんだかあんた、やけに手馴れてるじゃない。ひ、ひょっとして初めてじゃ…ないの?」 訊ねてから涙目になりそうになってしまっている自分に気付いて、あたしは内心でひどく狼狽した。 可能性として、あり得なくはない。でもキョンもあたしと同じように初めてのはずだと最初から疑って掛かりもしなかったのは、それは、別の答えを認めたくなかったからなんだ。知らなかった。あたしが、こんなに独占欲が強かったなんて…。 そんなあたしの葛藤を知ってか知らずか、キョンの奴はあたしの問いに、憮然とした表情で答えた。 「バカ言え。何の自慢にもならんが、俺は正真正銘たった今が青い春と書いて青春真っ只中だ」 「嘘! 嘘よ、だってあんた…」 「なんだハルヒ、お前『門前の小僧、習わぬ経を読む』という言葉を知らないのか?」 「へっ?」 「つまりは、見よう見まねって事だよ。 お前の朝比奈さんに対するセクハラ攻撃を、いったい俺が何度止めに入ったと思ってるんだ? あれだけ見せつけられりゃ、嫌でも目に焼きつくっての」 そうしてあいつは、あたしの耳元に顔を近づけて「本当はずっとお前にこうしてやりたいとか思ってたかもな」なんて小声でささやくと、あたしの耳を、はむっと甘噛みしてきたのだった。もう。キョンの奴ったら調子に乗って、ここぞとばかりに! でも安心感で満たされちゃったあたしの心と身体は、キョンの攻勢を受け入れざるを得なかったのよね。そっか。そこまであたしの事を見てるのか。うん。それならまぁいいわ。何が? 知らないけどまぁいい。 ここはあんたのお手並み拝見と行きましょ。たまにはあたしの事をきちんとリードしてみせなさい。ねっ、キョン――。 それからまあアレやコレやを経て、あたし達の最初のセックスは終わった。 別にごまかすつもりはないんだけれども、この後の事は断片的にしか記憶がない。お互いに初めてだったせいもあって、何というかおままごとみたいな? そんなつたないセックスだったと思う。 でもまあ、あたしは結構満足していた。右も左も分からない中を無我夢中で駆け抜けるような、あんな感覚って嫌いじゃない。誰かに手ほどきを受けるより、むしろその方が痛快じゃないの。 当然ながら、反省点も多々あるんだけどね。 えーと、ほら動物の世界で『マウント』ってあるじゃない。犬とかが自分の優位性を誇示するために他の犬にかぶさる、ってヤツ。 アレの最中は、やっぱり人間も動物みたいになってるんだか――その、あいつがのしかかって来るたびに「ああ、あたしは今、キョンのモノにされてるんだ」って思えて…それが何故だか嬉しくって…。 一個人としては「女の子をモノにする」っていうのはむしろ不愉快な表現なんだけども、でもあの時ばかりは不思議とあいつの体重を、ベッドのスプリングに分けてやるのが無性にもったいないような気がしたの。 で、キョンの奴が「もう少し力抜いた方がいいぞ」って言ってるにも関わらず、やたらと四肢を踏ん張ってしまったあたしは現在、首から背中にかけてアンメルツヨコヨコの匂いを漂わせたりしているのだった。あと実は、お腹の中もちょっとヒリヒリ痛い。生理用の痛み止めでなんとか紛らわしてるけど。 教訓。その場の感情に流されすぎちゃダメね。利用できる物はきちんと利用するべきだわ。そう日記には書いておくとしよう。 それにしても。 『涼宮ハルヒ秘密日記』のページ上にトントンと意味もなくペン先を振り下ろしながら、あたしは口をアヒルみたいにしていた。 今更ながらに思うけど、キョンの奴ってズルい! ううん、あいつがズルいのは前々から分かってたのよ。毎度あたしの後ろからひょこひょこ付いてきて、美味しい所だけご相伴に預かろうとするような奴だものね。 でも、今回ばかりはちょっと許しがたい。そうよ、あの行為の最中は気が付かなかったけど、こうして家に帰ってお風呂に入って夕食を済ませてから落ち着いて思い返してみるに――。 キョンの奴、あたしに「好き」とか「愛してる」とか、まだ言ってないのよ!? あたしに散々アレだけの事をしておいてッ! あたしの初めてを…あんな風に奪っといて…。 いやまあ、実はあたしの方も改まって告白したりするのは気恥ずかしくて、まだきちんと言葉にしてはいなかったりするのだけれども。ただ礼儀として、あーゆー事したからには男の方から言ってくるのが作法っていうか? 確かに『古泉くんとあたしがナニするのを邪推して嫉妬した』みたいな事はあいつも言ってたけど、でも「嫉妬した」と「好き」は微妙にイコールじゃ無いじゃない!? それとも…キョンはやっぱりあれは一時の対処療法みたいなものだとか思ってて、好きだの愛してるだのっていう形而上の言葉であたしを拘束してしまうのが嫌だったんだろうか。 確かに胸の話とか、「行動に枷をはめられるのはイヤ」みたいな事を言ったのはあたしの方なんだけども。でもどっちにせよ、キョンの奴ってばやっぱりズルいと思う! うん! …そこを含めて、好きになっちゃったから参ってるのよね。 机の上の小さな鏡を見ながら、左の頬を撫ぜてみる。あたしの頬をはたいた時のキョン…恐かったけど、格好良かったなあ。あんなに真剣に怒ってくれるのは、あたしの事が大切だから、だよね? まあいいわ、今回だけはキョンの無礼を見逃してあげるとしよう。一応、コトが終わった後に、 「ハルヒ…今のお前、反則的なまでに可愛かったぞ…」 なんて事は言ってくれたし♪ あ、でも調子に乗って、汗やら何やらでベタベタした手で頭を撫ぜたりしないでよねっ? リボンが汚れちゃったじゃない! ちょうど替えがあったから良かったけど。あ~あ、これ割とお気に入りだったのにな。一度染み込んじゃうと、洗濯したってこの匂いはなかなか落ちな……… ここは自分の部屋の中で、もちろん居るのはあたし一人だというのに、なぜだかあたしは左右をきょろきょろ見回して、それから机の引き出しに、そっとリボンをしまい込んだのだった。 そ、そうよ、このリボンはもう人前じゃ付けられないから、ずっとこの中にしまっておく事にするわ、うん! …いったい誰に向かって言い訳してるのかあたしは。 はあ、それにしてもまあ。たった一日の間にファーストキスから何から、我ながらずいぶんとコトを進めてしまったものだ。 ついこないだまで、恋愛なんてのは交通事故みたいなもので、きちんと注意さえしていれば回避できるものだと思ってたのになあ。今はもう、四六時中あいつの事ばかり考えてる。キョンの奴には、出会い頭に思いっきりハネられちゃったって感じよね。ほんと、不覚だわ♪ …って、あれ? ちょっと待って!? そういえばキョンの奴、昼間、喫茶店でこんな事を言ってなかったっけ? 『人間なんて明日どうなってるか分からないから、みんなもせめて事故とかには気をつけろよな。特にハルヒ』 それからあたしに向かって『お前は直情径行の向こう見ずで、後先考えずに動くから』とか何とか言ってたような…。 えっ、えっ? ひょっとしてアレって、いわゆる暗示って奴? キョンってもしかしてもしかすると、予言者!? なんてね。たかだか1回セックスしたくらいで、奴の事を特別に不思議な存在だとか勘違いするほど、あたしは愚かじゃないのだ。 だいたいアレを『予言』だなんて言うんなら、あたしにだってそのくらい出来るわよ。そうね、たとえば――。 言わせて貰うなら、セックスなんてのは単なる行為のひとつに過ぎない。少なくともあたしはそう思ってる。 愛情がなくったって出来るし、何の証明にもならない。セックスしたから彼はわたしの物♪なんて、おかちめんこな考え方は噴飯物だ。一時の気の迷いで、そうひょいひょいと人の所有権を移動させないでほしい。 結局その考えは、あたしこと涼宮ハルヒが実際にセックスを経験した後も、特に変わる事はなかった。だからやっぱり、セックスなんてただの行為なのだ。 ただ、これだけは断言しておこう。 客観的、一般的には単なる行為だけれども、このあたしにとってはあんなに痛くて恥ずかしいコトは、よっぽど好きな奴が相手じゃなければとても出来やしない、と。経験者として、それは確信できる。そして今のあたしにとって、その相手はただ一人だけ…。 そう考えている内に、あたしは無意識に携帯の通話ボタンを押していた。 「(ピッ)もしもし、ハルヒか? こんな夜更けにどうし」 「分かってんの、キョン!? あんたは50億分の1、ううん、宇宙人やら未来人やらを含めても、世界中でたった一人の存在なのよ!? すごくありがたい話でしょうが! 選考委員のあたしにはもっともっと感謝するべきよ! 違う!?」 「…違うも違わないも。いきなりそんな勢いでまくし立てられたって、話の筋が全く分からん」 ああ、もう。本当に理解力にとぼしい奴ね。手間が掛かる事この上ないけど、やっぱりあたしがリードしてやらきゃだわ。 「いいから! あんたはこれからもあたしについてくればいいの! それとすっとぼけてる罰として、次に逢う時の食事代から何からは、ぜ~んぶあんたのオゴリだからねッ!」 「いや待て待て。次ってお前、今日のホテル代も結局は俺が払わせられたし、そのあと合流した朝比奈さんと長門には、なぜか特盛りパフェをご馳走させられたし、さすがに財布の中身がだな」 「なに言ってんの! 今日のあんたはみんなに心配とか迷惑とか掛けまくったんだから、そのくらい当然でしょ!? 急用で帰っちゃった古泉くんにも明日、学校でちゃんとお礼言っとくのよ!」 「へーへー。って、お前は俺の母上様か」 「うっさい! 文句があるんだったら、あたしに有無を言わせないくらいの気概をまた見せてみなさいよ、このバカキョンっ!」 ふふっ、気概を“また”見せてみなさいよ、か。 はてさて、次の機会はいつになる事やら。まるで見当も付かないけど、それまではこの、肝心な言葉をきちんと口にする事さえ出来ないムッツリスケベ男の尻を叩き続けるとしましょ。 そうして、携帯を通じてあいつへの叱咤を続けながら、あたしはこっそり今日の日記に、最後の一文を書き込んだのだった。 『初めての相手がキョンで、本当に良かった』 ――ってね♪ 涼宮ハルヒの不覚 おわり
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学校で二人と別れ、そのまま長門の家に着くまで二人とも口を開くことはなかった。 これから俺はどうなるんだろうか。 未来から来たというわけでもないってことは、やはりおかしいのは俺の方なのか。そうなんだろうな。 古泉の言うように俺はハルヒの力によって創られた存在なのだろうか。 だとしたら俺に帰る場所はない?そのうち消えてしまうさだめなのか?そんなのは嫌だ。 仕方ない……なんて簡単には思えない。くそっ、どうすりゃいい。何も出来ないのか? 『涼宮ハルヒの交流』 ―第三章― 「入って」 「ん?ああ」 正面に長門の姿。どうやらいつの間にか長門の家に到着していたようだ。 「あまり焦って考えることはない」 確かにそのとおりなのだろうが。 「すまんな。わかってはいるつもりなんだが」 まぁあんまり暗い顔してたら長門も気分悪いよな。「いい」 それにしてもやっぱり長門の家は同じだな。目の前にはいつか見た、いや、いつか見たはずの部屋とほぼ同じ光景がある。 長門らしいというか何というか。 「何が食べたい?」 作ってくれるのか?特に食べたい物があるというわけでもないんだがな。 「なんでもいいさ。得意なのはあるか?」 「カレー」 即答か。やっぱり長門は長門だな。 「じゃあそれでいいか?」 「いい」 たまに違和感があるが、これはやっぱり俺の知ってる長門に違いないはず。 これがもしも創られた記憶だっていうならたいしたもんだな。 ならこれはもう一人の『俺』の記憶と同じなのか? あいつも俺と全く同じ経験をしてきたってことになるということか。いや、逆だな。 ……どちらにしろあっちが本物か。 「できた」 気が付くと目の前に大盛のカレーが。これは多すぎるんじゃないか、長門。 「お、おう。うまそうだな」 「食べて」 「ああ、いただくよ」 カレーをスプーンで大きくすくい、口に運ぶ。その動きを長門はじっと見つめる。 ……そんなに見られると非常に緊張してしまうんだが。 「どう?」 「おいしいぞ」 「そう」 そう言うと満足したのか長門も食べ始める。 別に嫌というわけではないが、黙々とカレーを食べ続ける二人。 これって客観的に見るとかなりすごい光景なんじゃないか? 食後には長門がお茶を出してくれた。 せめて片付けくらいはしたかったんだが、 「お客さん」 の一言で断られた。なんか迷惑かけっぱなしだな。 どうにもこういう間って気まずいんだよな。せめてすることでもあればいいが。 って、のんびりしてる場合じゃないか。色々と考えないといけないんだよな。 といっても状況もいまいち把握できてないし、長門にも聞きたいことがあるし、少し休憩としとくか。 ◇◇◇◇◇ しばらく一人でゆっくりとお茶を飲んでいると、片付けを終えた長門もやってきてお茶を飲み始めた。 「落ち着いた?」 「ん?ああ、お前のおかげで少しはな」 「そう、良かった。」 そう言ってゆっくりとお茶を口元に運ぶと、一口飲んだ後で思いがけない言葉を口にする。 「あなたは私に聞きたいことがあるはず」 え!?……まぁそれはそうなんだが。何から聞いたらいいものか。 せっかく長門もそう言ってくれていることだし、とりあえず聞けるだけ聞いてみるか。 「まず状況を整理したいんだが、いいか?」 「いい」 「宇宙人的でも未来人的でもない、なんらかの力によって俺が二人現れた。 ……じゃなくて俺が現れたことで俺が二人になった、が正しいか。で、合ってるか?」 「合ってる」 「で、俺は未来から来たわけでもないから、どこからか来たのではなく造られた人間の可能性が高い。 でも俺がどうして現れたか、俺はどうすればいいかということはわからない、ということだよな?」 「……そう」 どうすりゃいいかはわからない。 かといってわかっても困るんだよな。 「しかし問題が解決してしまうと、偽者である俺はおそらく消えてしまうことに――」 「違う」 長門が少し大きく声をあげ、否定する。 しかしその様子は怒っているというよりも悲しそう、いや寂しそうだ。 「な、長門……?」 長門は持っていた湯飲みを音をたてないように静かに置、俺に目を向ける。 「確かにあなたの言うとおり、あなたが造られた人間で、消えてしまうという可能性はある。 しかし、あなたは偽者ではない」 「どういう意味だ?造られたってんなら偽者…だろ?」 長門はさっきのように寂しそうな表情を浮かべ、わずかに視線を下に落とす。 そして、再び俺に目を合わせ、はっきりと言う。 「私は対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイス」 ――ッ!!……そうだな。 そこでハッと気付く。そうだ。長門の言うとおりだ。 「……すまん。忘れてた。長門も、同じなんだな」 「そう。私も造られた存在。しかし私は私。偽者などではない。 あなたは確かに彼と非常に良く似た存在。でもあなたはあなた。彼ではない」 言われてみればそのとおりだ。俺は俺であって『俺』とは違う。 例え全く同じだったとしてもこうして今は別々に存在してるんだからそれは違うもののはずだ。 今は一人の人間として俺はここにいる。 「ありがとう、長門。それと、本当にすまん」 「わかってもらえたならいい。気にしない」 長門のおかげだろう。少し楽になった気がする。 迷惑かけっぱなしだな。まったく。 長門は何事もなかったかのように、再びお茶に手をつける。 今回に限らずいつもいつも世話になってるわけだし何か恩返しの一つでもしたいものなんだが。 残念ながら何も思いつかん。 俺ができることはこの状況の解決に協力するくらいか。 「おそらくだが、俺かあいつが何かをすれば元に戻るんじゃないかと思うんだが、長門はどう思う?」 「たぶんそう。そしてすることがあるならば、それはあなた」 ……そうか。 俺は何かをするためにここに現れたのかもしれないな。 ……とはいっても何をすればいいものか。 「長門は、原因についてどう思う?」 「詳しくはわからない。おそらく涼宮ハルヒが関わっていると思われる」 そうなんだろうが……、 「ハルヒの力が使われた気配はないって言ってなかったか?」 「全くないわけではない。それについては古泉一樹の言ったとおり」 なるほど。大きくはないが、常にハルヒの力は感じられるってことか。 なら今回はまさに異常事態だな。 「そうでないことはあり得るにしても、古泉の説が正しい可能性が高いってことか」 「そう」 古泉の言ったとおりだとしたら、やっぱり俺はここにいてはいけない存在なのかもな。 「俺は……どうすればいい」 「あなたの思うとおりにすればいい」 長門は答えを示すことはなく、はっきりとしない言い方をする。 しかし、できることがあるならばやりたいと思う。 何かあるならばそれを教えてもらいたいと思う。 「あまり判断を急ぐべきではない」 「どういう意味だ?」 長門は無表情のまま答える。 「むやみにあなたを危機にさらすことを私は望まない」 そうだった。 これが解決すると俺は消える、つまり死ぬことになってしまうかもしれないんだった。 ならどうすりゃいい。何もやらなけりゃいいってのか?いや、それは違うはずだ。 でも……死にたくはない。けど、覚悟を決めないといけないのか?そんなに簡単にはいかないぜ。 「焦ることはない。ゆっくりでいい」 ここにきて、長門が俺に気をつかってくれていることがはっきりとわかった。 思い返してみれば、一言一言が、優しさに溢れていたことが感じられる。 ありがとう。長門。 「すまんな。迷惑ばかりかけて」 「いい。」 おそらく長門はこの事態の早い解決を望んでいる。 そして、そのうえで俺が動揺しないように言葉を選んでくれている。 長門の力になりたいと思う。何かできることがあるならやりたいと思う。 「俺に、できることはあるか?」 でも、正直言うとものすごく怖い。 長門からは見えないだろうが、さっきから足は震えっぱなしだ。 まぁこの顔色を見れば一目瞭然かもしれないが。 「先ほども言ったように、あなたのしたいようにすればいい」 俺に何ができる? できることと言えば、ハルヒと話をすることか?何か原因がわかるかもしれない。 そのためには、 「長門、もう一人の『俺』と連絡はとれるよな?」 「とれる」 「明日、少しばかり変わってもらってハルヒに会ってみようと思う」 だが、長門はすぐに電話を貸してくれず、他の方法を示す。 「あなたには何もしないという選択肢もある」 「長門?」 「確かに今の状態は不安定。あなたもいつどうなるかわからない。明日には消えてしまうこともあり得る。 しかし、そのときまでここで私と生活するということもできる」 ここで長門とひっそりと暮らすってことか。確かに悪くはないかもしれん。 けどその生活はいつか急に終わってしまうのだろう。 それも俺の意思とは無関係に。 もちろんハルヒと会ったからって何かができるとは限らない。 けどそんなこと言ってこのまま長門に甘えてたんじゃ俺はもっと何もできなくなってしまう。 それに……いや、それとは別かもしれない。 「確かにそれも悪くはないかもしれん。それでも……」 それでも、俺はハルヒに会いたい。 「電話を貸してくれないか?」 「いいの?」 「……ああ、頼む」 長門は頷き、俺に携帯電話を渡す。 5回ほどのコール音の後に、『俺』の声が聞こえる。 『どうした?長門』 「……すまん、俺だ」 『ああ、おまえか。何かわかったのか?』 「いや、たいした進展はない。少しばかり頼みごとがあって電話したわけだ」 『……あんまり無茶は言うなよ』 やっぱり『俺』も不安があるみたいだな。そりゃそうか。 「言わねえよ。……明日ハルヒと話をさせてもらえないか?」 『一日変わればいいのか?』 「それでもいいが、部活の時間だけでもかまわん。いいか?」 『そうだな……。俺もハルヒの様子は少し見ておきたいから、部活の前に交代するってことにしよう』 「頼む。助かるぜ」 これでとりあえず明日ハルヒに会うことができる。 ハルヒに会えばきっと何かわかるはずだ。 『そのくらい構わないさ。……けど、お前はいいのか?別に無理することはないんだぜ』 『俺』も気をつかってくれているんだな。まるで俺じゃないように感じるぜ。 「気にするな。もう気持ちの整理はついた」 これは嘘だ。 怖くてたまらん。 『そうか。ならいいが』 「じゃあ明日は頼むぜ」 そう言うと『俺』からの返事も待たず、電話を切った。 長門に電話を返し、『俺』とのやりとりを説明する。 「すまんな」 「何?」 「色々と気をつかってくれたのに、断っちまって」 「いい。それにさっきのは私の……」 「……私の、何だ?」 「なんでもない」 微かに首を横に振りながら答える。 ひょっとしたら、ここで俺と過ごすことを長門も望んでいてくれたのか? なら……、 「ならなおさらだ。勝手ばかりやってすまん」 長門は再び小さく首を振る。 「いい。あなたのしたいようにするのが一番」 「ありがとう、長門。」 その後、疲れもあり、少し早めに眠ることに。 長門の後に俺が風呂に入らせてもらうことになった。 風呂から出てくると、長門はかつて俺が三年間眠っていた部屋に布団を二組敷いている。 ――って、二組?長門? しかも近っ!そんなピッタリにくっつけられると…… 「一人がいい?」 「いや、そういうことじゃ……」 ないんだが。 「なら問題ない」 いやいや、ありまくりだろ。 とは言っても昔は朝比奈さんとここで二人で寝たことがあるわけだし。 長門にはこれが普通なのか?いやいや、そんな馬鹿な。 ま、まぁ別に嫌なわけじゃないし。どちらかというと……嬉しい?それに、たぶんだいじょうぶだろ。 何がだ。 などと自分にツッコミを入れていると 「できた」 と、突然声をかけられ少し驚く。 「おわっ、ああ、ありがとう」 くそっ、びっくりして変な声が出ちまった。 「もう寝る?」 「そうだな、そうさせてもらうよ。おやすみ」 「……おやすみ」 ……何だ?今の間は。いや、気にするな。気にしちゃだめだ。意味なんかないはずだ。 落ち着け、クールになれキョン。だいじょうぶだ。何もしない。何もしない。 幸せか不幸せか、たぶん疲れのせいだろうが、電気を消すとすぐに激しい睡魔がやってきた。 ◇◇◇◇◇ ここは……? 夜中にふと目が覚める。 ここは俺の家じゃないな。どこだ?……そうか、長門の家に泊まってるんだっけ。 顔を横に向けてみると、眠っている長門の顔が見える。どうやら今日のことは夢じゃなかったみたいだな。 何時だかわからんがまだ夜明けまでは時間があるようだ。もう一眠りするか。 ってダメだ。全く眠れん。 おそらくさっきは相当に疲れていたからなんだろうが、一旦目が覚めると色々と気になってしまう。 いや、断じて言っておくが、隣に長門がいるからドキドキしてるなんとことはないぞ。 ……すまん、嘘だ。それもある。それももちろんあるんだが。 今日あったこと、それから明日のこと、これから俺はどうなってしまうのか。 体が震えてきた。 いちおうの覚悟はできてたつもりだったんだがな。そうカッコ良くはいかないみたいだ。 俺は……やっぱ死ぬのかな。 死にたくねえな。 ここにきて怖い。 もしかしたらSOS団のみんなとも明日にはお別れってことになるかもしれないんだよな。 ……ハルヒとも。 けどハルヒは俺のことなんか知らないんだよな。そう考えると寂しいな。 他のみんなにはともかく、ハルヒにはお別れの挨拶もできないわけか。 たとえできたとしても実際に言えるかどうかは微妙だな。その時がきたらびびってしまいそうだ。 それでも……ハルヒに会いたい。 明日、か。 明日ハルヒに会うことで、そのせいでハルヒと別れることになるかもしれない。会わない方がいいのかもしれない。 けどこのままハルヒに会うこともできずに消えてしまうなんてもっとごめんだ。 気がつくと目の端から涙がこぼれ落ちていた。 くそっ、それでもこの気持ちはどうにもならない。 「だいじょうぶ?」 「えっ?……ああ」 突然隣から声がかかる。 「泣いている?」 「だいじょうぶだ。起こしちまったみたいだな。すまん」 「泣いてもいい。むしろそれが普通」 そういって長門は布団の中で俺の手を繋いだ。 あたたかいな。恐怖心が少し和らいでいく。 「俺のことを知っているのは3人だけ、他の人は俺がいることなんて誰も知らない。 ハルヒにも朝比奈さんにも知られることなく、俺は消えていくんだよな」 少しの沈黙。 「あなたが望むなら、あなたのことを涼宮ハルヒに伝えてもかまわない」 なんだって?そんなことしたら……、 「なにかとんでもないことが起きてしまうんじゃいのか?」 「その可能性は高い」 「なら、どうして?」 「私は言った。あなたのしたいようにすればいい、と。後は私がなんとかする」 長門はそこまで俺のことを心配してくれているのか。確かにそれはありがたいが、 「そんな。……長門に迷惑をかけてまでそんなわがままはできない」 「わがままではない」 なんでだ?これは俺だけの都合だろ? 「涼宮ハルヒから自律進化のための情報を得たいというのは我々の都合。それをあなたに強制はできない。 だからあなたも自分の都合で好きなようにすればいい」 言ってることはわからないでもないが、 「それで世界がめちゃくちゃになるとしても、か?」 「先ほど言った。……私がなんとかする」 そっか。ありがとう長門。それでもさすがに俺にはそこまでする勇気がない。 「わかった。けど俺にはそれはできない。お前に迷惑ばっかりかけるわけにもいかないしな。 だからハルヒにも俺のことを話したりしない。けど、一つ頼みがある」 「何?」 「俺が消えてしまうことになっても俺のことをずっと忘れないでいてほしい。 そして、いつか全てが終わって何も問題ない時がきたら俺のことをハルヒに伝えてほしい」 ………… …… 返事がない、ただのしかばねのようだ。……じゃなくてどうした長門? 「な、長門……?」 何かあったのか?まさか寝ちまったんじゃ。 「……頼みが二つになっている」 あっ、しまった。ははっ。 と、思わず笑っちまった。 「すまん、じゃあ頼みは二つってことで」 「わかった」 心なしか長門も笑っている気がしないでもない。 「私はあなたのことをずっと忘れない。……ずっと」 そうか、長門がずっとというならそれはずっとなんだろうな。 「このまま、手繋いだままで寝ていいか?」 「いい」 「そっか、じゃあおやすみ」 「おやすみ」 ◇◇◇◇◇ 第四章へ
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昼休み、ハルヒは昨日置き忘れた財布を取りにいくため、部室に向かっていた。 「もう!財布がなきゃ学食が買えないじゃない!」 蝶番が可哀相なくらい勢いよく部室のドアを開けるとそこには先客がいた。 「有希じゃない」 窓際でぽつんとパイプ椅子に座っていた長門は、今まで食べていた コンビニ弁当に向けていた無感動な目を、たった今入ってきた少女に向けた。 「いつもここでお昼食べてるの?」 「そう」 ハルヒは柔らかな光を受ける長門の顔をじろじろ見た後、 彼女の手のコンビニ弁当を見て表情を変えた。 「っ有希!あなたもしかして毎日コンビニ弁当だったりする!?」 静止していた頭がかすかに動く。 「ダメよ!育ち盛りの高校生が毎日そんなんじゃ!だからそんな細いままなのよ!!」 長門が何か反応を返す前に、ハルヒは長門の手を右手で、 長机の上に放置されていた財布を左手でわしづかみにした。 「学食行くわよ学食!今日は私がおごったげるからじゃんじゃん食べなさい!!」 長門は左手にコンビニ弁当を、箸を持った右手をハルヒにつかまれたまま、 自分の手を強引に引いて走り出す少女に抵抗することもなく、足を動かし始めた。 学食の机に向かい合わせで座る二人の間には、カレーと定食Aとサラダとデザートが 美味しそうな匂いと湯気を立ち上らせながらずらりと並んでいた。 ちなみにカレーは長門が指定したもの、定食Aはハルヒの昼食用のもの、 サラダとデザートはハルヒが長門に食べさせるために独断で注文した。 長門が代金を払おうとするのをハルヒは強引に止めて、全ての代金を自分で支払った。 「さ!食べて!遠慮はいらないわよ」 長門は目の前に置かれたスプーンを手にとると、そのスプーンをカレーライスに ゆっくり差し込み、カレーのからむライスをすくいあげて、自らの口に運んだ。 「美味しい?」 ハルヒが長門に問いかける。 長門はスプーンを口から出し、咀嚼し飲み込むと、よく見ていないとわからない程度に頷いた。 「そう、よかった。今日は好きなだけ食べなさいよ」 ハルヒは満足そうに微笑みながら言った。 長門は、先ほどとほとんど同じ動きでカレーライスをすくいあげると、 それをハルヒの顔の前にもっていった。 「?くれるの?」 ハルヒは少し驚いた様子でスプーンを差し出す少女を見る。 首がかすかに上下するのを見てハルヒは少し不思議に思いながらも 「じゃあいただこうかしら」 と言うと、横髪を手でおさえながらスプーンを口に入れた。 長門はスプーンがハルヒの口に入っていく光景を、人形のように静止したまま見つめた。 ハルヒはスプーンから口を離すと 「ちょっと甘いわねえ…私はもっと辛いほうが好きだわ」 と口をもぐもぐさせながら言った。 「よくわからないけどありがとね有希。でも残りはあなたが食べなさいよ!」 ハルヒはそう言いながら割り箸を小気味のいい音を立てて割ると、 自分の昼食である定食を食べ始めた。 長門はハルヒが定食に集中しているのを確認するように見つめた後、 ハルヒの口にカレーライスをからめとられて、今は何ものっていないスプーンの先端を軽くなめた。 そしてすぐにカレーライスをすくうと、ハルヒと同じようにもくもくと食べ始めた。 おわり
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「ねぇ、キョン。あんたポケモン持ってないの?」 近頃は最新型パソコンと睨めっこバトルをくり広げている団長様が、やおら話題をふってきた。まだまだ嵐の前のナンとやらを堪能していたい俺は、何をやらかすか分からんハルヒの目論見をできるだけけしかけないように答えた。 「あんな面倒なものは小四で卒業した」 「私、昨日ゲーム機ごと買ったんだけど……あんたもやらない?」 何故たった一言返しただけでここまで話が進むんだ?…まぁ、ゲームごときで深刻に考えるのもどうかしてるが、ハルヒはここ最近ネットばかりしているからなぁ 「昔は誰でもやったことあるわよね、どぉ?みんなで対戦とかやりたくない?」 「ふぇ~ゲームですかぁ…」 ゲームにまで手を出したら、今流行りのフリーター万歳人間になってしまうのではないか…仕方ない。ハルヒにこんな話をしても無駄だと思うが、たまには世界の平穏の為に働いてみるか 「…ハルヒぃ……こんな話を…知ってるかぁ?」 「な、何よ変なしゃべり方して」 「ポケモンシリーズの初代主人公は死んでいるらしい。」 「!!」 思った以上にリアクションがでかいな。気を悪くするなよ、お前の将来の為だ。 「し、知ってるわよ。金銀で話かけても『………』ってヤツでしょ?そんなんで死んでるって決め付けるなっ!!」 「マサラタウンの母親に聞くと、何か月も音信不通らしい。それに、ゴースト系のポケモンばかり出てくるしな」 「………。」 「これ以外にもポケモンには不気味な噂が沢山あるんだぞ?」 それでもやりたいか?…と言うのはまだ速いか。とりあえず、この意外と怖がりちゃんには精神的に死んでもらおう 「GBA版の伝説ポケモンで、レジアイス、レジスチル、レジロックっているだろ。」 「あれ、第二次世界大戦で死んだ障害者の権化らしい」 「ちょっと!!今日のあんたおかしいわよ、酷いじゃないッ!!」 「ホウエン地方って、九州がモデルだろ?」 レジアイスは長崎 レジスチルは宮崎 レジロックは大分 どれも原爆があった場所だ …朝比奈さん、泣かないで下さいよ。ハルヒの怪しい力でみんなにとばっちりがいかないように頑張ってるんだから 「ふぇ…」 ちなみに今呻きをあげたのは朝比奈さんではなく、団長様である 「奴らの祠にある文字は、病気の人用の『点字』だしな」 「…もう、止めた方がいい」 今から、森の洋館について話そうかと話を繋げようとする前に長門が教えてくれた。ハルヒが泣いてる。 「ふぇ…ふぇ…クスン」 萌えた。 「こんのバッカキョーンッ!!!買ったばかりなのにー!!もうできないじゃないのぉ……」 「ロトムってポケモンが―――」 「いやぁぁぁぁぁぁッ!!!」 古泉はニヤけているが、いいのか?閉鎖空間が発生しそうだか? 「おや、貴方はそんなつもりであんな話をしたのですか?」 「…スマン、まさか泣くとは思わなかった」 ハルヒは腰を抜かしたらしく、長門におぶってもらいながら坂を降る。怖がりすぎだ 「ゆきぃ…トイレ」 「ハルヒ、後ろにピカチュウが――」 「いやぁぁぁぁぁぁッ!!!」 失禁するなよ? ただでさえ、下校中の北高生に見られてるんだから。それにしてもお前がそんなに怖い話が苦手だなんて知らなかったよ 「今日の彼は a bully。私も苛められたい……」モミモミ 「ちょっと、有希。お尻揉まないでよーオシッコ出るぅ」 …ほら、貴方の後ろにもピカチュウが――
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『涼宮ハルヒのプリン騒動』 ―1日目― 掃除当番で遅れるハルヒを後ろに、俺はいつもどおり部室へと足を運ぶ。 朝比奈さんのエンジェルボイスを期待しつつ、ドアをノックすると、 「はい、どうぞ」 忌々しいことに部屋の中に居たのは古泉だけだった。 「お前だけか……。長門もいないみたいだな」 「長門さんなら少しコンピュータ研の方に行くと言っていましたよ」 なるほどな。なら朝比奈さんが来るまでこいつと二人っきりってことか……。 「で?何をそんなにニヤニヤしてやがるんだ?」 何故だかわからないが古泉がいつもの三割増しといったにやけづらを浮かべている。 「いえ、いつもどおりだと思いますが?」 そうかい。だといいんだがな。 「ところで、これでも召し上がりますか?」 そう言って古泉はなんだか妙に高そうなプリンを差し出してきた。 なんだ?まさか毒でも入ってるんじゃないだろうな?勘弁してくれよ。 「いえいえ、そんなことはありません。美味しいと思いますよ。どうぞ」 まぁくれるっていうんだからありがたく頂くとするか。まさかこれのせいでやっかいごとを頼まれたりしないだろうな? それにしてもこれはうまいな。 高そうな見た目に合ううまさだ。これならいくらでも食べれそうな気がするぜ。 「それにしても古泉、お前こんなのわざわざ持って来たのか?」 「いえ、それはそこの冷蔵――」 バタンッ!! いつものように凄まじい勢いで部室のドアが開かれる。 だからもっと丁寧に開けろといつも言ってるってのに聞きやしねえ。 「あら、二人だけ?有希もみくるちゃんもまだなのね。……って!」 ん?なんだ? 何故だか知らないが凄まじい顔でハルヒがこっちを見ている。って、怒ってる!? 「あんた……なにあたしのプリン勝手に食べてんのよ!それ手に入れるの苦労したのよ!」 って、え?これハルヒのかよ。 「え、いや、こ、これは、古泉がくれたんだ、よ」 と、古泉の方に目を向けるとさらにニヤニヤしてやがる。まさか……? 「ほんとなの!?古泉くん?」 「いえ、僕も今来たところなので。部屋に入ると彼はもう食べてました」 いや!ちょっ!?……おいおい!?まじかよ。こいつ裏切りやがった! いや、ひょっとするとはなからこのつもりだったのか?ハメやがったな、このやろう! 「古泉くんもこういってるわよ。どうやらあんたにはお仕置きが必要なようね……。どうしてやろうかしら?」 「あ、そういえばこの近所に新しくケーキ屋ができたようで、そこのプリンは絶品とのことですよ」 「そうなの?じゃあ今からそこ行くわよ!もちろんあんたのおごりね。古泉くん、あとまかせたわ」 「やれやれ……って、わかったわかった。だからネクタイを引っ張るなって!」 「うっさい!さっさと行くわよ」 そうしてハルヒに引きずられて、ケーキ屋に向かうことに。 部屋を出るとき後ろから、「……計算どおり」と、密かに聴こえたような気がしたがおそらく気のせいだろう。 くそ、古泉め、覚えてやがれ。 ◇◇◇◇◇ 『涼宮ハルヒのプリン騒動』 ―1日目(裏)― 「と、まぁこんな感じですね」 「さすが古泉くん、演技じょうずですねぇ」 「ご苦労さま」 「それにしても僕がとぼけたときの彼の顔はとても愉快でした。吹き出すのを我慢するのが大変でしたよ」 「ですよねぇ。私も思わず笑っちゃいました。長門さんなんて爆笑してましたよ」 「……爆笑まではしてない」 「まぁ楽しんでもらえて何よりです。……おや、お二人が店内に入られたようですよ」 『へぇ、けっこう綺麗なお店ね』 『ばか、お前声がでかいっての。恥ずかしいな……』 『あんたこそうるさいわよ』 「……いきなりケンカしてますねぇ。これでだいじょうぶなんですかぁ?」 「まぁなんとかなるでしょう。おそらく」 『じゃああたしはこれにしよっと』 『ほう、うまそうだな。じゃあ俺は――』 『え?あんたも食べるの?さっきあたしのプリン食べたでしょ!』 『いいじゃねぇか。それともお前が食べるのを眺めてろとでも言うのか?……それもいいか』 『な、何を変なこと言ってんのよ!……仕方ないからあんたも食べていいわよ』 『ありがとよ。じゃあ俺が持ってくから席の方よろしくな』 『あ、あら、気が利くのね。頼んだわ』 「少しいい空気になってきたようですね。まだ少しばかりぎこちないですが」 「それにしてもどのプリンもおいしそうですねぇ」 「右から二番目のプリンが一番おいしい」 「へぇぇ、そうなんですかぁ。……って、長門さん全部食べたんですかぁ?」 「食べた。下調べは重要」 「そ、そうですかぁ。……あんまり関係ないような気もしますけど」 『このプリンおいしいわ!あんまり高くないのに』 『そうだな。これもうまいぜ?食べてみるか?』 『そう?じゃあありがたく頂くわ。……へぇ、これもおいしいわね』 『だろ?あ、それもう全部食べていいぜ』 『ほんとに?もう返さないわよ』 『ああ、いいぜ。今日お前のプリン食べちまったからな。悪かったな。……古泉のせいなんだが』 『いいわ。こうやっておごってもらってるし。きっと古泉くんもここまで計算してたのよ』 「おっしゃるとおりです」 『どうだかな。ただ俺に嫌がらせして楽しんでるだけじゃないのか?』 「おっしゃるとおりです」 『まぁこのぐらいならいいんだがな。……ハルヒと二人っきりだし』 『ん?何か言った?』 『い、いや、なんでもない。……あ、ちょっとトイレ行ってくる』 「あ、キョンくんが席を立ちましたぁ。涼宮さんが一人になりましたよ」 「それでは店員にあれを渡させましょう」 『店員さんに渡されたけど、何かしら?……へ、へぇ。こんなのあるんだ』 「やはり気になっているようですね」 「狙いどおり」 『どうしよう。いきなりこんなのやってだいじょうぶかしら?……でも……』 「あ、涼宮さん、すごい顔が赤くなってるみたいですぅ」 「思うつぼ」 「おっと、彼が帰って来ましたね」 『ん?おい、どうしたんだ、ハルヒ?大丈夫か?』 『な、なんでもないわ。大丈夫よ。気にしないで』 『ならいいが。無理はするなよ』 「キョンくん優しいですねぇ」 『あんた、ちょっとここで待ってて』 『ん?構わないが。どうした?』 『なんでもないわ。待ってなさい』 「涼宮ハルヒが動き出した」 「店員さんのところに行くみたいですねぇ」 『これって今日もやってるんですか?』 『はい、本日も承っております。ご希望ですか?』 『そうなんですけど、……今は二人なんで後で出直してきても構いませんか?』 『はい、もちろんです。お待ちしております』 「……コンプリート」 「どうやらうまくいったようですね。僕も明日が待ち遠しいです」 『で、なんだったんだ?』 『なんでもないわ。あんたは気にしなくていいのよ』 「あ、お二人がもう出るみたいですよぉ?」 「さすが涼宮さんですね。思い立ったらすぐ行動ですか」 「じゃあ私たちも今日は解散ってことにしますかぁ?」 「そうですね。それではまた明日」 「明日」 プリン騒動1日目 ―完― ―2日目―へ続く
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むかしむかし、ある国の貴族の夫婦の間に一人のかわいいけど頭のイタイ女の子が生まれました。 ハルヒと名付けられたその女の子は様々な武勇伝からいつしかツンデレラと呼ばれるようになったものの、とても美しい娘に育ちました。 ところが浮気症だけど優しいお母さんがエイズで死んでしまいました。 代わりにやってきた継母と二人の連れ子、みくると有希はとても意地悪で、ハルヒは毎日いじめられていました。 人間立場が違うとここまで豹変するのかと、作者はちょっぴりセンチメンタルな気分になりました。 ある日、この国の王子さまがおしろで女あさりのパーティを開くことになりました。 欲張りな有希とみくるは王子をゲットしようとお化粧したり、官能的な衣装を着たりして、ハルヒを一人残してパーティに出かけて行きました。 ハルヒがパーティに行けないイライラをペットの谷口(犬)にあたっているとそこに魔女のちゅるやさんが現れ、 「ハルにゃん、ハルにゃん、泣くのはやめるっさ」と言いました。 「にょろ~ん」とも言いました。 「ハルにゃんをパーティに連れていってあげるよっ スモークチーズを一つ、三毛猫を一匹捕まえるにょろ!」 どうやらちゅるやさんの鼻息が荒いのはデフォルトのようです。 ハルヒが言われた通りスモークチーズと三毛猫を持ってくるとちゅるやさんは長葱をひと振りして呪文を唱えました 「やっつぁっつぁぴゃりやん (ry」 面倒くさいから省略されました。 すると、あら不思議! 三毛猫が猫バスに変身しました――あと、言い忘れましたが三毛猫の名前はシャミセンです。 イライラして名付けました。反省してます。 しかし苦労して作ったスモークチーズはそのままでした。 ハルヒがちゅるやさんに尋ねると、 「これはお夜食にょろ」 ハルヒはシャイニングウィザードをかましました。 ちゅるやさんが長葱をもうひと振りすると、ハルヒはとてもエロティックな衣装と鋼のピンヒールに身を包まれました。シャイニングウィザードの仕返しでした。 「ちょっと、何よこれ!センス無いわね!ドレスとガラスの靴にしてちょうだい!」 ちゅるやさんはしぶしぶハルヒの言うことを聞きました。 長葱をもうひと振りすると今度はきれいなドレスとガラスの靴に身を包まれました。 「そうそう、これよこれ!あんたやればできるじゃない!」 ハルヒがお礼を言うと、ちゅるやさんは、 「スモークチーズをくれたら胸パットも出してあげるよっ」 ハルヒは丁重にお断りし、かねてからの疑問を口にしました、 「いらないわよ! そんなことよりあんた呪文はどうしたのよ?」 「面倒くさいにょろ」 魔女はとても正直者でしたがハルヒにシャイニングウィザード天山キックをかまされました。 「だったらはなっからやるんじゃないわよ中途半端ね!」 猫バスに乗ったハルヒとちゅるやさんはお城とは名ばかりのラブホテルに来ました。 最近ではブティックホテルというらしいのですがその手のことに縁が無い作者に関係の無いことでした。 「ヤる気まんまんってわけね!いいわキョン、この勝負受けてたつわ!」 「ハルにゃん、ハルにゃん、大事なことを言い忘れたにょろ いいかい、ハルにゃん。 十二時くらいになったら魔法が切れてすべて元に戻ってしまうかもしれないにょろ。 そのまえにずらかったほうがいいにょろよ」 ハルヒはちゅるやさんの曖昧な物言いと語尾にイライラしました。 二人が大広間に案内されると、美しいハルヒはすぐに王子役のキョンの目に止まりました。 ですがキョンは隣国の大帝国の王子、古泉に捕まっていました。 いつの世も弱肉強食、この摂理だけは変わりありませんでした。 余談ですがこの頃になると出番の無い有希とみくるは近場のスターバックスで遅めの昼食をとっていました。 キョンの取り巻きの兵隊達はキョンのアナルのピンチにも関わらずニヤニヤと笑っていました。 特に隊長の国木田は物凄く良い笑顔でした。 ハルヒは必殺のドロップキックを古泉におみまいすると、王子様の手を取り時間も忘れて踊りました。 ラブホでしたがあくまでも童話なので本番行為はしませんでした。 悔しそうな全裸の古泉をよそに、幸せそうに踊るハルヒとキョンに周りから祝福の拍手がおこりました。 ですが隊長の国木田だけがニヤニヤと笑っていました。 殺すか? その時、十二時の鐘がヂリリリリーン、ヂリリリリーンと鳴り始めました。電話の呼び鈴のようですがそれ間違いなく鐘の音でした。 ハルヒはちゅるやさんの言葉を思い出し、 「キョン延長しなさい!もちろんあんたの奢りだからね!」 と、広間を走り抜け、階段を駆け降りて行きました。 その時、ハルヒの片方の靴が脱げてしまいました。ちゅるやさんは足を踏み外し、盛大にころげ落ちて大怪我を負ってしまいました。 しょうがないのでハルヒはこれ以降の魔女のシーンにはピカチュウのぬいぐるみを置いて代用することにしました。 ちなみにみくるだけは最後まで入れ替わったことに気付きませんでした。何処までが演技なのでしょうね? さて、ラブホに一人取り残されたキョンはハルヒの落としていったガラスの破片を眺めながらハルヒのことを思い続けました。そして執事の新川に、 「あの姫こそ、俺の探していた花嫁d (ry」 原作通りのことしか言わないので省略されました。 キョンとその家来達は国中を訪ねて歩きましたが、ガラスの靴をはける娘は一人もいませんでした。 そして最後にハルヒの家にやってきました。みくると有希はなんとか靴をはこうとしましたが、いくら足を押し込んでもはけませんでした。 有希があんまり熱心に足をねじ込んだためにガラスの靴は壊れてしまいました。 キョンは慌てて三代目のガラスの靴を買いに行きましたが何故か自腹でした。 そしてキョンは何故かお尻をさすっていました。キョンの身に一体何が!? それはディレクターカット版で明らかになるのでそちらも是非購入してくださいっス。お願いしまっス。 その時掃除を終えたハルヒが部屋に入ってきました。みくるは必死で遮ろうとしました。 何故ならキョンと有希がキスをしてたからです。 どちらかというと有希が無理矢理キョンの唇を奪ったのですがそんな言い訳ハルヒには通用しません。 怒ったハルヒは世界を滅ぼしてしまうほど危険だからです。 焦った新川は迷わずに言いました。 「どうぞ、はいてみてください」渋い演技にお茶の間の奥様方もメロメロです。 ちなみにハルヒの足はぴったりと靴におさまりました。 「おお、この方こそ王子様の探していた花嫁に違いない!」 新川は声を張り上げ、みくるや有希も拍手で二人を祝福しました、 「お、おめでとうございますツンデレラ。今までいじめててごめんね」 「………」 立場が逆転したとたんに手の平返したように態度を変えるみくるにハルヒは不信感を感じましたが悪い気はしなかったので素直に祝福されました。 「ふん!エロキョンあんた今月一杯昼飯奢りだからね!」 ハルヒが隣の大帝国を打ち滅ぼし国に帰ってくるとそこにキョンの姿はありませんでした。 キョンはまるでハルヒから逃げるようにして妹とフェードアウトしてしまったのです。 主のいなくなった国はやがて衰退し滅びましたがキョンと妹いつまでも禁断を愛を深め、いつまでも、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。 めでたし めでたし
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スク 古泉「!?、誰かそこにいるんですね。」 ????「やっぱりバレたか」 そこにいた人物は意外な人でした 古泉「あなたはキョンさん!!!」 キョン「よぉ、古泉」 古泉「あなたは今日休みだったのではないんですか。」 キョン「古泉、俺はハルヒに連れまわされる日々がもうイヤなんだよ、古泉お前も同じだろ。」 古泉「........僕は、この日々は楽しいと思います!」 キョン「そうか、お前が協力してくれないんだったら、お前を最初に牢獄にいれてやる。」 古泉「どおゆう事ですか。」 キョン「まあ、すぐ分かるさ。」 急にめまいが? もうダメだ...... 続く
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涼宮ハルヒの出会い プロローグ 涼宮ハルヒの出会い 第1章
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『涼宮ハルヒのコミケ』 「へぇーこれがコミケかぁ、すごい人ね」 だからハルヒ、こっちでやってるのはコミケとはいわんぞ 「うるさいわね、あたしがコミケといったらコミケなのよ!」 というわけで我々SOS団はハルヒがいうところのコミケ正式名称スーパーコミッケシティK-saiの会場を訪れている 団長様いわく「オタクパワーの不思議を探訪する」のだそうな SOS団は二手にわかれて俺はハルヒと場内を探訪中である、ハルヒが俺を引っ張りまわしているだけともいうがな 「こっちよキョン!」 こら強く引っ張るな腕がいたいぞハルヒ、それより一体どこにいきたいんだ? 「うるさいわね、平団員の雑用係は黙って団長についてくればいいのよ」 はいはいおっしゃるでございます団長様 「ここよ、ここにきたかったのよね」 どうやら目当てのサークルについたようだ、よく見るとギコやモナーの縫いぐるみなどが飾ってあるが・・・ あ~ハルヒさん?ここっていわゆる2ちゃんグッズ屋さんですよね?お前ひょっとしてネラーなのか? 「すいませんサイタマはなにがありますか?」 おい俺の質問を無視すんな、てっいきなりサイタマかよ! 「えーとサイタマはこのバスタオルとハンカチだけですね、マグカップとかもあったんだけど完売しちゃって」 とサークルの人がすまなそうにいう、さすがは2ちゃんジャンルだサークル主も金髪の姐御風な人だった 「じゃぁそのバスタオル一枚ください」 「はいありがとうございますサイタマバスタオル一枚、サイタマー!」 おいおいちょっとまてハルヒ、そんなバスタオルを使う気なのか? 「もちろんあたしがつかうのよ、あっ今あたしのお風呂上りのバスタオル姿を想像したでしょ、まったくエロキョンなんだから」 とんでもない、おれはこのバスタオルを洗濯するお前の母親の気持ちをだな とはいえハルヒの風呂上りか・・・ちょっとみて見たい気も「ちょっとぉ何にやけてるのよホントにエロイわねぇ」 ハルヒよお前は超能力者か?俺の心を読むな 「そうそうこの冷茶グラスはどうかしら、部室でおそろいのグラスで麦茶を飲むなんていいんじゃない?」 あ~ハルヒさん・・・ニラ茶器って書いてあるんですがこれ、朝比奈さんにニラ茶を作ってもらうのか? というかニラ茶って実在するのか、ニラを煮出すのか? 「すいませんこのグラス・・二つください」 おいハルヒ、SOS団は五人なんだから部室でお揃いならグラスは五個だぞ すいませんグラス三個追加の五個でお願いします 仲間はずれはよくないだろ、SOS団五人みんなでおそろいじゃないとな んっハルヒよ一体何を震えてるんだ?冷房が強すぎて寒気でもしたか? 「まぁいいわキョンもなにか買いなさいよ、妹ちゃんにこれなんかどう?」 これって真ん中でサイタマしてるハンカチのことか?妹が「サイタマ!」しだしたら困る 大体ハルヒも埼玉県なんかいったことない筈なのに、サイタマのなにがいいんだ? 「じゃぁ縫いぐるみは?モナーとか妹ちゃんもよろこぶんじゃないの」 あいかわらず俺の質問はスルーかよ、でもぬいぐるみはいいかもなシャミセンも遊ぶかもしれんし でもモナーよりここはギコだろ「いえモナーに決まってるわ!」 ハルヒ!お前はギコの良さがわかってないだろ、そもそもギコは「2ちゃんグッズとの出会いは一期一会、迷ったら両方買いだね」と姐御が割り込む 「はい二つで二千円、買ってよし!」 はぁどうもすいません、いただきます。押しに弱いのが俺の欠点だな・・orz ハルヒもういいだろ他も見にいこう、あっお姐さんどうもありがとうございました 「あぁお兄さんありがとう、それと男女の出逢いも一期一会、かわいい彼女を大事にしなよ」 いやお姐さんそれ違います、誤解です、曰く「団長様と雑用係」ですから 「ほらバカキョン!次へ行くわよ!」 おい引っ張るな、なんだ鼻歌なんか歌ってやけに上機嫌だな そんなに2ちゃんグッズが買えたのがうれしかったのか? ハルヒの考えることはさっぱりわからん やれやれだ - なんとなく終わり - <おまけ-その日の朝、駅前> 「遅い!みんなとっくにきてるのに雑用係としての自覚が足りないわよ!」 すまんすまんなどという俺の目にメイド姿の朝比奈さんが飛び込んできた あーハルヒ今日のイベントはコスプレ禁止のはずなんだが朝比奈さんがメイド服なのはなせ? 「みくるちゃんの格好はコスプレじゃないわよ、普段着よ普段着!」 おいおいどこの世界にこんな普段着があるんだいい加減にしろ、どうせお前が無理やり着せたんだろ? 「普段着は普段着るから普段着よね?」 まぁそうだな 「みくるちゃんは毎日このメイド服を着てるんだからこのメイド服だって十分普段着よ!文句ある?」 ( ゚д゚)ポカーン <その他> 出てくるグッズはイベントで見かけたサークルさんのを参考しますた